
朝鮮金剛山写真帖 徳田富次郎 黒田鹿水・福田幹次郎序文
買取上限価格 10,000円
定価 | |
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著者 | 徳田富次郎 |
出版社 | 徳田美術書院 |
出版年月 | 大正4年 |
ISBNコード |
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この商品について
大正4年に発行された朝鮮金剛山の写真帖です。朝鮮金剛山の写真集はいくつか発行されていますが、こちらの本の買取価格は大正4年版になります。天金本・朝鮮半島の脊梁である太白山脈中の名山・世界的に知られている名山で標高1638メートル
大正14年 天金本 黒田鹿水・福田幹次郎序文 日本語と英語で写真説明がされています。27cm*36.cmの大判です。モノクロ 和装本
金剛山寫眞帖卷首の記
朝鮮の梁を成せる白頭の聯は、巨濤釈を以て咸鏡平安の道界を劃し、南下して永興灣頭 に至るや著るしき曲線を書きて東に馳せ江原道に入り、太白聯脈となりて日本海の岸に迫 通川庫底に於て壯絶怪?玄武岩柱の叢石となり、更に南走して一大山彙を形成するもの 乃ち一萬二千象峰の大金剛山なり。
金剛は五太白の諸山と連亘し山脚直に東海の瀬に接し、蜿々として慶尚南道の東南岬端 に盡き。枝西に折れるものは小白聯脈となり、鳥嶺秋風嶺となり、慶向忠清及全羅の道界と なりて異の高峰となり朝鮮海峡に没す。
金剛の區域は江原道の六郡に跨り大約二十有餘方里に蟠崛し毘廬白馬水精等を最高とし 重々又疊々恰も千朶萬朶の蓮華を束ね立てる如し。
金剛は又由來四の名稱を有す曰く蓬?曰く楓嶽曰く骨曰く金剛是なりして金剛は固 有名たると共に春季の名稱にして蓬?は夏季楓嶽は秋季摺骨は冬季に用ゐらる。春色の 妍麗なる山容水態は佛家の所謂金剛殿裏の華麗なるに擬し。滿山の濃綠融けて流れむとす 潤淨たる乾坤の夏季は天地人間にあらざるを以て蓬?と名つけらるゝなり、一碧磨する が如き秋空に矗々たる奇峰秀を競ひ滿山紅に堅く頃は一萬二千の鑚峰最も崇高の景を呈 するより楓嶽と稱せられ裸々たる山膚鎧々たる白骨と化し壯奇沈痛を極むる冬季は皆骨 と稱し各其景色の特徴を意味するなりて金剛は又内金剛外金剛の二に大別せられ内金 剛は或は内山とも稱し、外金剛は外山とも稱せらる内山は漢江流域に属する乃ち西南方 面の總にして萬瀑洞靑壺淵靈源洞水站等の諸溪及毘廬水精白雲、法起將軍、青鶴香爐觀音、 獅子峰等之に屬し外山は赤壁江流域に属する乃ち東北方面の總稱にして。玉流濱萬物相新 金剛海金剛等之に属す。
内外諸勝の中古最も名あるものは萬瀑洞玉流溪にして萬物相之に亞き新金剛は前三者 に比し寧ろ勝りて劣るなきの景致を有するも通路困難にして之れを踏破したるもの甚だ 多々たり而して全區域中亂山奇峰深溪幽壑隨處に横はり人間未到の秘境復た廣くむら くは今日未た全金剛を探り盡くしたりとは爲すべからず本帖收むるところの如き亦従 世間に喧傳せらるゝ一班に過ぎざるなり。
今や内外山共に鐵道線路と聯絡する車馬道の開鑿成り捨て山下に達するのみにても五日 乃至一週間の日字を要したるものに一日乃至二日の時日を以て到達することを得るに 至り山中寺院の如きは遊覧者の宿泊所に宛てられ、温井里の如きは鐵道ホテルの建築落成 するあり風に業を開きて水遊の客を待つ之を一ヶ年前の邊僻なりし金剛に比するときは 形勢同日にして語るべからざるに至る、尚記す山中名勝各地の詳細なる案内は朝鮮鐡道 より出版したる金剛山栞の如きあるを以て茲に之を略す。
大正乙卯孟夏於馬山避暑地記之