江戸凧絵史
買取上限価格 5,000円
定価 | 18,000円 |
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著者 | 斎藤忠夫 |
出版社 | グラフィック社 |
出版年月 | 昭和55年 |
ISBNコード |
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この商品について
原稿執筆のため、さかんに江戸史を調べているころのことであったふと隣室から思えてきたテレビのコメントー 「創業元禄三年、お江戸日本橋、浮世絵師国芳が描く江戸の香りを そのまま伝える 」
(おや?)と思った。日本橋にある老舗の商品コマーシャルだ。こ のコメントでは、どう聞いても、元禄三年に国芳が老舗風景の浮世 絵を描いたことになってしまう。
歌川国芳が誕生したのは寛政九年 (一七九七)だから、創業元禄三年(一六九○)とでは一〇七年のひらきがある。 CMのコピーライターが、元禄三年に国芳が描いたと思っていたのなら不勉強、元禄と国芳とは別個の文章だというなら文体のまずさ。もし、なにも知らない視聴者がいたとしたら、間違った知識を与えることになる。文章とはこわいもの、歴史とは正しく伝えたい ものである。
カラーの写真美術書の本文ページ というと、テーマの総括的なアウトラインと、カラーページ個々の図版の詳細な解説文で終ってい る場合がある。しかし、私は十年来ライフワークとして調べつづけ てきた江戸の凧の歴史を、年代的に整理して残してみたかった。本 文ページだけでも一冊の本になるようなページ数を、そのために与 えて下さったグラフィック社にまず感謝をしたい。その厚志にこた えるため、江戸凧史については、もう書くこともないくらい、資料 を出しきって書きおろしたつもりである。
「現在までのところ、江戸凧としてまとまった研究文献書は一つり ない。古文書、江戸史書随筆、玩具研究書、たくさんの資料のなか から、たとえ一行でも二行でもある風の文献を拠出する。それを集 めて比較分類して、正しいと思うものを史実、俗説、考察、推側、 続書の顔になるべく区別できるものは整理して、少しでも正しい風 史としての形を残すようにつとめたつもりである。ゆえに、状況証
拠だけで断定はしたくない。もし自己想像の場合には、識者・読者 にも判断を待つ形式をとったつもりである。 – 歴史というものは、元来、史実がなければどうにでも判断できる ものである。しかし、文献資料として現われたもの、それが必ずし も正しいとはいえない (まる呑みに信じてはいけないと、ある歴史 家や作家もいっている)。しかし、それを真実の物的証拠にして、その時点での解決をしていくほかはない。「風」の場合、文献とし て著述した本はいままでに一冊もない のであるから――。 江戸凧史というと、江戸時代の政治、社会、市井の流れが、その 時代、時代に反映してくる。しかし私は、歴史学者ではないので、日本史とくに江戸の歴史研究書誌を読み、その一文を参考として使 用させていただいた。巻末に参考文献を列記して、引用書の著者の 諸先生方に厚く御礼を申しあげる次第である。
「本書に述べたことについて、あるいはみな様からご指摘される個 所も多々あるかと思う。その節は、どうかど示教をたまわりたい。 これからまだつづく私のライフワークの資料文営のなかに大事に保 存し、またの機会に稿を改めたいと考えている。いずれにしても、 これまで江戸凧史が他になかっただけに、今後、この本を,たたき 台』にして、研究者が多く現われ、より以上に充実した江戸凧史が 編まれることを希んでいる。
この本のすべての原稿を書き終えた夜、私は快く眠りについたが、 明け方に夢を見た。それは大凧に乗っている夢であった。見おろせ ば、高層ビルも高速道路もない、安藤広重が描くところの浅葱と欝 金と焦茶と青藍に彩る江戸の街のようであった。八百屋お七が恋焦 がれて登った火の見櫓もあれば、「文七元結」に出てくる木橋も柳 も見える。大通りは人と荷車の往来が激しく、遠く西空に茄子紺色 の富士山までがくっきりと見えた。私は両腕両脚を凧の四隅に突っ 張り、まるで私自身が奴凧になったような形で、悠々と飛んでいた