復原国宝仏画 宮原柳僊
買取上限価格 5,000円
定価 | 30,000円 |
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著者 | 宮原柳僊 |
出版社 | 佼成出版社 |
出版年月 | 昭和44年 |
ISBNコード |
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この商品について
今でも忘れられない事にこんなことがあります。ある日私は一生懸命に、古色蒼然と落剝した仏画をそのまま写生して父に見せました。父はこのように古く描くのは、参考に取っておくには良いが、お前の勉強にはならない。このように描かない で、これをむしろ新しく、一本の線を引くにもすなおに、彩色も美しく研究してやってみたらどうだ、その方が非常に勉強に なるだろう。といわれたものでした。父は古画をよく見ておりますし、まるで専門家の様なことを言われたので、今本当になつなしく思い出されます。そして次からは研究しなおしてできるだけ新しくかいて見せますと、このようにかけば勉強にはなる。このやり方で大いにやって見なさい。
結局、こんにち仏画を専門に描くようになったのも、父の名蔭であり、古名画が師匠というわけなのです。
父は七十七歳で天寿を全うし他界いたしましたが、父の死後も、私にとっては何しろ好きな仏画ですので、次ぎ次ぎに大作を復原したくなりました。とにかく、金と時間のかかる仕事ですので、筆舌に尽せぬ苦しみもありました。しかし、当時力をつけてくれ、微助してくれた父の声が、耳の底に残っておりますので、苦しい時は父の声を思い出し、今日までやりとおして きた訳です。その間、学界諸先生方に、仏画の研究についてお聞きるし、さぞご迷惑なことであったろうと、今日感謝いたし ております。
さて、私の仏画の研究ですが、博物館などでガラス越しにではなく、特別室で直接国宝仏画を拝観研究をするのです。それにはまず所藏寺院の許可がいり、しかる博物館の都合の良い時にしか拝観できません。閲覧室で研究できると い たしましてる、国宝仏語ですのでいつきい 手をふれられません。しかる、エンピツだけで写生をし、筆は使えません。ですから、家に帰って頭に焼きついている間に、すぐ筆で線がきをする。あくる日は原画と引き合わせ線の味を良く見ろ。今度は彩色をこまかく書き込むというくりかえしでした。そして、今日まで平安、藤原、鏡倉時代の名宝仏画三十六点、対副ものを合わせろと六十二点になります、これらの企画は大作が多いのと、たどうろ原寸大でないと気がはいりませんので、非常に困難したもの でした。仕上げに教カ月から一年っかかるのです。
そこで、公演の模写には、現状模写と復原模写とがありますが、現状模写は、数百年たちますと古色をおび、また利落いたします。現状模写は現在の常態をそのまま模写し、後世に伝えるのですが、復原の方はいたんでいる状態を初期の姿に帰えし て、新しく描くことをいいます。ご承知のごとく、仏教はインドに発し、ヒマラヤを越して キジル、敦煌(中国)、朝鮮を経 てわが国に伝わったものです。わが国でも、藤原、鎌倉時代がとくに仏教美術の興隆がめざましく、日本の代表といわれる名 作が制作されました。私はこの時代の仏画がとくに好きで、復原模写した仏画の多くは藤原、鎌倉のものです。
「古名画を見て深くうたれますことは、まず一切衆生の仏心を開かせる信仰の対象仏として作られたことです。また当時は阿閣梨の位のある高僧や、熱烈な信仰心のある心麿かれた仏画家の筆になったものです。ですから、実に美しく、すなおでしかる荘厳そのものであり、人の心を強くうちます。そのような名画が、九百年近くも年を経て、古色が加わり、神秘的な な美が出て、なんともいえぬ感動を私に与えます。心静かに名画を拝しておりますと、その古色から初期の新しかった美が想像される
のです。部分的には剝落もし、変色もしてちょっと判らぬとところがあるようでも、すなおなものは彩色が読めます。衣の色、模様、瓔珞の様式など部分的には残っていますので、それをつなぎ合わせて、元の姿に復してまいりました。
昭和二十六年一月「国宝仏画復元展」として第一回展を日本橋三越で開くことができたそもそもの因縁は、今は故人となられた文学博士・藤懸静也先生が、私の家に遊びにこられた時に始まります。
先生と一日共にお話をいたしました折り、「長年このようなことをやって来ましたが、ぜひご覧を願いたい」と初めて先生に見ていただきました。先生は非常に喜ばれ、「やあ、この仕事は、私がかねがね仏画を描れる方にお願いしようと思っていたことだ。ちょうどあなたがやられているんで いい機会だ、ぜひ多くの人に見ていただきたい。今は古色そうぜんとしている
けれど、描れた当初の姿は鮮かな色彩をこらしてあったものだ。時代による古色美ももちろんけっこうであるが、古いものを復元して、深くものを見ることが肝腎だね」といわれ、「国宝仏画復元展」と名じてくださ い ました。当時三越社長・岩瀬英 一郎氏のご後援もあって、初めて私の作品が展覧された訳です。
大作の復原で今でも強く印象に残って忘れられないことは、高野山金剛峯寺蔵の、わが国第一の仏涅槃図を拝写したことであります。
昭和十年四月、皇太子殿下御降誕奉祝記念第二回国宝・重要美術展覧会が上野で開かれた時、特別に一週間だけ出品されました。私は、かねて写真では見ておりましたが、初めて原画をまのあたりにして胸をうたれ、毎日拝観したものでした。 二・七メートル四方の大作ですが、どうしても復原してみたくて、所蔵寺院の許可を得るため、東京国立博物館を訪れ、溝口 貞次郎美術課長に申し出ました。ところが、あれは私の紹介状をもっていってもだめだ、やめられた方がよい、といわれがっかりしてしまいました。しかし私の復原意欲は高まるばかりでしたので、断られた時は仕方がないと、単身、はちきれる思いで高野山に出掛けました。さっそく、現金剛峯寺の管長であられる堀田真快先生にお目にかかり、一時間に亘って私の念願を申し上げました。ところが、私の熱意をくみとってくださり、心よく拝観を許してくださいました。
昭和十五年九月。館内の大きなつい立てに数人の館員の方々の手で仏涅槃図をかけ、写生させてくださいました。ありがたくて、なんともいえぬ気持でした。さっそく、右下の方の、悲しみの中になげき悲しんでいる獅子のところから模写を始めま
した。一生懸命になると、ありがたいものでどんどん進み、三日間でお釈迦さまのところまで模写が終わりました。しかし、霊宝館の方から、都合で十一月一日から八日間の名宝展に改めて陳列するから今月はこの位にしてほしいといわれ残念でしたが、心を高野山に残して帰京しました。 帰京しましても、心が高野山にあるので、他の画には手がつきません。そんな気持で十一月のくるのを待ちつづけました。
この三ヵ月間のなんと長かったことか。やがて十一月。はやる気持をおさえて、さっそく高野山の名宝展めざして出掛けたのです。高野の十一月は朝晩の冷え込みが激しい冬です。靴をぬぐのもまどろしく、館内に入りますと、どこにも涅槃図がかかっていません。がっかりしながらも、すぐ館長さんにお目にかかりました。すると私を見て、ただちにうなづかれ、曽我直庵筆国宝・鶏の屏風をどけて、涅槃図をかけてくださいました。私は感謝で胸がいっぱいでした。さっそく写生を始め、お釈迦さまのところから上を八日間立ちつづけてとらせていただきました。その時、私のわきに館員の方が二人ついておりまして、椅子をすすめてくださいましたが、一生懸命になりますと、いつしか立ったまま模写してしまいます。涅槃図の模写が終わりに近づくにつれて、私の腰から肩にかけて、板のようにこっていました。それでも仏画を拝する楽しみがいっぱいで、宿坊に
えってからもすぐで線描きをする毎日でした。肩や腰のこりゃ線描きが終わって寝ますと翌朝はすっかり直り、また元気 で引を合わせをし、彩色を書き込みます。図取りが完成したのが、十一月八日でした。今度は原寸大の絹本に極彩色で復原に 着手する楽しみです。結局復原に数カ年かかり完成したわけです。
仏涅槃図模写復原にあたって、もっとも心うたれたことは、釈尊のお顔のすばらしさです。この涅槃図をかいた作者の筆が 良いというだけでなく、拝する人の心に涅槃の境地を教え、なんともいえぬ静かな気持にさせることです。またこのお顔をとおして作者が出てくることです。思わず作者をお拝みたくなるような心境になるのが、私の古名画に対する喜びなのです。
また仏画にはすべて落款がありません。足利時代から江戸時代とさがるにしたがって、落款が入りますが、上代はほとんどありません。仏画は拝む対象だから落款は入れな いのだと、子どもの時分からよく聞かされました。上代の作品からは、俗念を遠ざけ仏を拝する喜び、つまり仏心一如になった作者の無我の心境がうかがえるのであります。この涅槃図にしても、応徳三年丙寅四月七日奉写―と年号があるだけで、落款はありません。だれの筆に成ったか判りませんが、すばらしい出来ばえで、わが国第一の仏教美術作品です。 仏画の復原は、ただ形、色彩だけを正確に写しても仏画の中に秘められた高い仏の心を写し取ることが必要で、この点に復原のむずかしさがあると思います。私の復原が、このような理想に達する日はほど遠いことでありますが、及ばずながら、常 に仏さまの心に近づきたいと願って筆をとらせていただ い て いる訳です。
わが国の文化の根本をなした仏教美術の偉大さの前に、私はただただ低く、頭がさかり心から感謝の念をささげずにはいられないのであります。
このたびこの「復原国宝仏画」集が出版されるにあたって庭野日敬師、石田茂作氏、田中一松氏、上野直昭氏、河北倫明氏、橘崎宗重氏、藤懸静也氏、野間清六氏、北川桃雄氏、岩瀬英一郎氏、松田伊三雄氏、古川司氏、大石豊斎氏ほか各界の諸先生方よりご指導ご鞭撻をいただきましたことを心より感謝s たし、今後ますます画業に専心いたしたいものと存ずる次第です。