江月宗玩 墨跡之写の研究 上
買取上限価格 20,000円
定価 | 34,000円 |
---|---|
著者 | 竹内尚次 |
出版社 | 国書刊行会 |
出版年月 | 昭和51年 |
ISBNコード |
※買取上限価格は、日焼け・汚れ・書込みなどがない状態での価格となります。
また、市場価格や在庫状況などにより変動する場合がございます。
この商品について
江月禅師とその鑑定日録 「墨蹟之寫」について
竹内 尚次
一 禅師の生い立ち、
江月律師は、泉州の堺に誕生され、今井宗久とともにその名を歐われた津田宗及 (―天正十九、一五九一) の二男でした。祖父 は津田宗達 、代々天王寺屋を号する堺の大小路の豪商で、格式の高い武家の書院の茶を武野紹鴎に学び数多い名器を所蔵したことで知られている。天王寺屋は代々禅林と関係が深く、祖父宗達は堺の龍興山南宗寺開山 (開基三好長慶)大林宗会(大徳寺九○世。大僊院開創の年八九)会下の居士で「大通」の法号を付され、父の宗及も大林和尚に参禅して「天信」号を付与され斎号を「幽更」と稱し、また父宗達の菩提所として堺に大通庵を創建して大林禅師の法孫春屋宗園(古岳|大林―笑嶺―春屋)を開山に請じている。宗及所持の油 満人目茶碗(園室・観光院蔵)は当時天下一の名器であった。
江月は幼名を遺丸また春松といったが、突然わずか六歳で笑嶺宗所(大徳 及が漫流されているので、その行末を案じた父が春松をひそかに大徳寺叢林〔聚光院ヵ]のなかに依託したのであろう。このとき幼名を 改めて「宗九」と安名されている。後年おなじ大徳寺派教団で深い交流をもつことになった但馬出石の澤菴宗彭が、この年七歳、江月よ の一つ見で、父秋延編典に伴われて宗鏡寺(明兆の師大道一以開山)にいたり正受院周獄西堂に謁している。このとき、但馬国主山名宗詮はこれ を隠いて喜び、東福寺惟杏水費を請じて授戒の師としようといったという。そののち間もなく織田信長軍団の先鋒隊秀吉が但馬に乱入、 山名氏は國中を出奔している。幼年の澤輩と江月とは、出石と堺と相隔たった地ではあったが、同じ戦国時代末期の浮沈の波にまず洗わ れたわけであった。