相州伝名作集・本間薫山博士古稀記念
買取上限価格 10,000円
定価 | 58,000円 |
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著者 | 本間薫山 |
出版社 | 大塚工芸社 |
出版年月 | 昭和50年 |
ISBNコード |
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この商品について
古来聞ゆる相州の名工の作及び相州伝を作刀に確認される諸国の著名工の作の中から、出来のよさに於て代表的なものを選択し、若干は必ずしも代表的ではないが資料価値の高いものを加えた。これらの大部分は国宝・重要文化財に指定ずみのものであり、その昔私が文部省及び文化財保護委員会に在職時代に指定の原案を作製したものであるが、それらの中から当時より進歩したと自負するいまの鑑識眼で惚れ込んでいるものを拾い上げ、昔から刀剣撮影の開拓に因縁浅からぬ大塚巧藝社に久し振りに口喧しく注文をして、同作の写真が従来まんあっても、嘗てない出来のよい写真を愛刀家諸君にお見せしようとするのが本来のねらいである。またそれだけでなく、写真を撮ったもの」なるべく念入りな押形を、また解説の随所に掲げた押形を、将来は私の刀剣鑑識学の衣鉢を継ぐであろうことを期待している加島進・広井雄一・小笠原信夫・深江泰正・高山武士・小林暉昌・鈴木卓夫・田野辺道宏の諸君が作製して協力し、これらを加えることによって本書にいわゆる錦上花を添えたとおもう。名作刀の調書は加島・広井両君の手になるものであり、さらに大部分のものにこの一年間に実物にあたっての私の解説を加えられているのであるが、若干は再見の時間がないためにノートと記憶によるものがあることをお断りする。
そして概説は以前に私が非売品として刊行した「相州上工とその作風の大要について」(昭和三三)並びに日刀保発行の私と佐藤貫一君が編集し私が論説を執筆した「正宗とその一門」(昭和三六)が再読してよく纏っているのでこれを転載し、目下の意見としてそれと相違する点を加筆すること – した。おもうに 第三人者からみて古稀老の意見はいささか角がとれ過ぎているかもしれない。
「作刀の流派の中で最も判然としたものとしていつの頃からか五ヶ伝(山城・大和・相模・美濃・備前)なるものが掲げられているが、この中の相州伝は新藤五国光が流祖であって正宗が大成したものであるとみることには当代異論がなかろう。しかし武家政治の総理府である鎌倉幕府が発足以来、新藤五誕生以前からこの地、或は近郊に諸国から刀工達が馳せ参じて作刀したことは常識的に考えられることであって、果して古来の刀剣書に山城から粟田口国綱、備前から 国宗と助真が此地に下向したと述べている。そしてこの三工と新藤五とは或は師弟の関係があったと記されているが、作刀の上からは認証出来ない。しかしながら三工の作風には専ら彼等の本国に在住した彼等以外の諸工の出来に比較して姿も地刃にも覇気と強さが感受されることは客観的であって、ここに鎌倉 武将の好みが反映していると見られ、この線からも三工の鎌倉での作刀を否定できない。
さて、相州物で鑑賞価値の高いもの、すなわち国宝・重文・重美に指定或は認定されているものは南北朝期以後のものにはなく、個銘をあげるならば広光・秋広がほぐ下限であるので、本書にもそれまでのもの中から選択し、さらにいわゆる正宗十哲の作中の名品と十哲の作ではないがそれと並ぶ程に相州伝を強調している信国・長重・元重・兼長等を加えている。十哲の中で則重が正宗門下ではなく相弟子で、初代新藤五国光法名光心の弟子であることは作刀からも文献からも疑いないところであるが、残る九工すなわち来国次・長谷部国重・兼氏・金重・義弘・直綱・兼光・長義・左文字はいかがであろうか。結 論から云って、これらのいずれの刀工も正宗の作刀に学んでいるのであるが年代的にみて、直接に師事しているか否かが問題である。