全国郵便局沿革録・明治編
買取上限価格 4,000円
定価 | 24,000円 |
---|---|
著者 | 山口修 |
出版社 | 日本郵趣出版 |
出版年月 | 1980年 |
ISBNコード |
※買取上限価格は、日焼け・汚れ・書込みなどがない状態での価格となります。
また、市場価格や在庫状況などにより変動する場合がございます。
この商品について
刊行にあたり
1871年(明治4)3月,わが国にはじめて近代郵便が創業され、間もなく110年を迎えよう としています。明治維新政府の数多い新政策のなかで、郵便事業を国家の手で統一し,全 国津々浦々へ安い料金で、郵便を迅速・正確にとどけようという方策は,《近代化>と中央 集権化を急速に進める上でも, 重要な課題でした。したがって、乏しい予算の中で、相当 に無理をした,組織化が進められ, とにかく数年で全国に郵便網が構成されました。
その経過などについては,山口修先生が本書中,「郵便局沿革概要」で解説されています が,この組織化を進めるとき,正確な記録が,きちんと作られていかなかったため,今日 にいたるも,わが国には全国郵便局の沿革録が存在しません。驚くべきことですが,この 事情について、本書を監修された,山口修先生は次のようにのべています。
『周知のように,わが国の近代郵便は明治4年(1871)に発足しましたが,当初は“郵便 役所”と“郵便取扱所”が並立しております。やがて明治8年に至り,すべて“郵便局”の名称 に統一されました。ところが,この間における局所の設置および改廃の状況は,決して明 らかでありません。各年度の《郵便規則》が,年ごとの局名を挙げていますが,設置の年月 日は示していません。しかも明治の前半期は,府県の改廃や統合,また管轄区域の移動が 多く,配列も郵便線路に沿って、旧来の“国”ごとに示されています。各局がそれぞれ現在 の何県のどこに当るのか,確かめなければなりません。
また郵便局は,事業の進展にともなって、つぎつぎに新設され,また改廃をくり返して います。さらに郵便のほか,為替貯金,電信電話の業務も取扱うようになってゆきます。 逓信省が発足して《逓信公報》が刊行されるようになってから後は,たんねんに公報を検索 することによって,新設や改廃の状況も,大要はつかむことができます。しかし公報の記 載にしても,必ずしも完全ではありません。とくに“郵便受取所”から無集配三等郵便局へ の移行など,公報の類には記載されてないことが普通なのです。このほかにも,文献の上 には現われず,日附印によって存在が推定される郵便局も,少なくありません。どんなに変遷が激しくても,すべて記録があれば,郵政省も何とかして,沿革録を作ったと思います。いまから10余年前,郵便創業100年を迎えるにあたり,同省は100年史編纂室を設け,重要な文献資料を数多く出版しました。しかし郵便局沿革録だけは、遂に刊行にいたらなかったことを見ても,それを作ることが,いかに至難なものであるか,想像できると思います。
しかし局名録を作る作業が,まったく無かったわけではありません。わが国のの、 界のもっとも勝れた指導者,中川長一さんがこの難事業に取組み,7年がかりで 名総覧》(1959)を刊行されています。しかしこの本は,明治14年(1881)までの局を り,また局ごとの設置年月日を確めるには至っておりませんでした。
いまは亡き,わが協会の中島健蔵会長は,ご自身の収集分野のひとつである。
丸一印の研究を進める上で,郵便局沿革録の必要さを痛感されていました。 特定の局について この使用状況を追求するに,郵便局沿革録は必須の資料ですが,それが無いために 1局を確認するため,何十冊もの公報の綴りを調べそれでも確認できないという、 繰返されていました。この経験から,他の多くの郵趣家たちも,同じように困っている。 違いないと考え,また日本の郵便史研究を発展させ,水準を高めるためにも,全郵便局。 沿革を集大成すべきであると,私たちに指示されました。
多くの郵趣家,郵便史研究家にとって,局名を確認することは、収集・整理・研空、 める上で,不可欠のことで,それだけに会長の指示は当然でした。しかし作業にかかる は,容易ではありませんでした。3年にわたるご催促の結果、ようやく1976年になっ編集方針をきめる会議を組織し,郵便史に造詣深い,山口修先生を総監修者として,具体的 な問題について討論をはじめました。
実際的な作業がはじまったのは, 1977年 1月からです。逓信博物館のご好意で、そのこ 室に机を借り,《逓信公報》からカードを作ることが続けられました。この作業は78年末ま で続き,それに併行してく法規分類大全や《駅逓局達書集》などから局名を当りました。また国立公文書館においては《府県資料》を使って、中央の記録に欠けるところを補いました。
小高い山のような, カードの集積が,ほぼ終りかけた79年6月,私たちは中島健蔵先生の訃報に接しました。78年7 月から,病床にあられた先生に,一日も早く、この本の完成を お知らせし,喜んでいただこうと,ピッチを上げていましたが, 実現出来ませんでした。 _79年末から組版を始めるための,原稿作りが進みました。しかしそれまでの調査で、ま だ設置や,改廃の年月日が不明の箇所が,相当残っていました。この段階から、全国の各 地において,それぞれ郷土史,郵便史の研究を続けておられる,52名に上る郵趣家の方が たと,8つの研究グループの皆さんに,府県ごとの最終点検をお願いしました。皆さんは 喜んでご協力を約され、編集担当者たちが作った草稿に対し、その豊富な造詣を惜みなく 注ぎこまれ、誤りを正し,足らざるを補って下さいました。校正刷りは何回も往復を繰り 返し,真赤になることもしばしばでした。
「総監修にあたられ、最初から最後まで,熱情をそそがれた山口修先生、そして全国のくの研究家とグループの皆さんの,すばらしいご協力によって、5年にわたる作業の結晶 は、ようやくここに実を結びました。私たちは自分たちの手で,自分たちの収集と研究に 必要な本を,作りあげました。しかし根本の資料が欠けているところから,完璧なものと は決していえません。より完全なものにするため,今後も引続きデータの収集を続け,数 年後には補遺を刊行する予定です。
本来この序文は,中島健蔵先生に書いていただく予定でした。それをお願いできなかっ たことが,いまなお,かえすがえすも残念でなりません。本書の第1冊を先生のご霊前に 捧げさせていただきます。
最後になりましたが,ご協力下さいました皆様方について,そのご芳名を別項に掲げ, 重ねて感謝の意を表させていただきます。また足掛け3年にわたり,基礎データのまとめ をして下さった阿部通明さん、大変に面倒な組版作業を,いとうことなく続けてくださっ た平河工業などの印刷関係の皆さんに、お礼の言葉を申し上げます。さらに,部内のこと になりますが,5年間にわたって製作企画と進行に携わった,日本郵趣出版の日下部森君, 終始実務を担当し,本書を完成させた大木茂子嬢の努力も,合わせてここに記録させてい ただきます。
1980年12月5日
日本郵趣協会理事長 水原明窓