日本庭園集成・6冊
買取上限価格 30,000円
定価 | |
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著者 | 中村昌生・西澤文隆 |
出版社 | 小学館 |
出版年月 | 1984年 |
ISBNコード |
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この商品について
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見る庭と歩く庭
禅寺の方丈南庭は本来何もなく白砂一色の平庭が建前だそうである。今では何 もない白砂の平庭は妙心寺東海庵の方丈南庭一つになってしまった。妙心寺霊雲 院もそうであったが、戦後実生の松を大事に育てるうちに松で一杯になり、そこ にお化燈籠が置かれて凡そ違うものになってしまった。石庭で有名な龍安寺の方 丈南庭も元は白砂一色の平庭だったのだが、枯山水が流行って虎の子渡しの庭に なってしまった。それは恐らく江戸時代になってからの改変かと思われる。太閤 が龍安寺へ花見に出かけた時は糸桜があったと書いてあるだけで、その糸桜の痕跡が今も南庭と西庭との堺の剛石の中程にある。大徳寺本坊の方丈南庭では東南 の隅に枯滝の立石があって満々と水を湛えた海を象徴する白砂の平庭が拡がって いて、枯山水の庭ではあるが白砂一色の感が強い。
東海庵では玄関を入って南庭への扉をあけると、左手に手水鉢が据えられてい る。客はまず全く何もない白砂一色の庭に接して心が洗われる。そこで手水を使 って身を清め、心身共に清浄になって縁を上り、方丈に入って御仏と直に接する。その覚悟の出来る道程を白露地と呼ぶ。その歩む距離は茶庭に比べて短い が、露地を歩くうちに茶室入りの心の準備が出来上るのと同じ過程で、白い砂、 白い心の意から白露地という言葉が生れたものと思われる。この白露地以外は禅 寺には歩く庭はない。見る庭である。
茶庭は逆に歩く庭で、山路を行くように作るのがよいとされる。山路では左右 に木が林立していて、上枝が拡がり全面を覆っているので、木漏れ日は射すがほとんどほの暗い。下枝は枯れ落ちて幹のみが林立して見える。木の下には植物は ほとんど育たず、苔や落葉、眼に新鮮に映るのは陰性の木のヒコバエ、シダくら いで視界の遮りにはならない。幹は半ば視界を遮るが、その間からずっと奥まで
見通せる。ある程度の遮りがあるが見通しの利かぬ状態でなく、空間が向うへと 流れていく。このような状態を透けているという。何もない時より遮りがあるこ とにより空間に深味が加わっているのだ。
取り立てて見映のする風景もないから、自然の気は感じても心を乱されること もなく、客は専ら飛石を伝っていく。飛石は踏みはずしては困るので、足下を見 ながら一歩一歩進むことになる。この状態では雑念の入る余地はなく、忘我の境 地に入っていくことになる。注意を集中していると芯が疲れる。それを救うため にところどころ延段を挟み、客の気を抜かせると共に苑路の景にもしようという ものである。
ここではあたりを見回し庭を観賞することも可能だが、多少あしらいに工夫はされても特に造形意欲を披露することは避けられる。なんら自己主張 をせず専ら山路を行くようにと心掛けるのが茶庭である。庭の造形物として、燈 籠、蹲踞、飛石、延段、中門、待合、雪隠などはあるが、一見極めて普通に見え るように仕上げてあるから百鬼夜行の体をなすことはない。