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さいたま市南区にて 新版・日本装飾大鑑等美術書・工芸書買取事例
いくつか気になるものをピックアップして紹介させていただきます。
本書「日本装飾大鑑」の原本は今から約六〇年前、大正初年に故河辺正夫氏の編著によって刊行された飛鳥から江戸中期にいたる日 本の装飾文様の集大成ともいうべき大書である。
収録された約六○○点にのぼる装飾文様にはすべて彩色が施されており、その模写は極めて高度に洗練された技術を駆使して、正確、 忠実におこなわれている。
恐らく明治時代の後期から大正初期にかけて、河辺氏が非常に多くの日時と労力を費やして、国中にその材を求め、図案作家の眼を通して選択し、模写した装飾文様を、当時としては類例のない独特の編集方法でまとめあげたのが本書なのであろう。
収録された一点一点の作品から著者の図案制作者としての技術もさることながら、その時代的背景における視野の広さ、日本の装飾文様に関する知識の豊富さ、文様研究にかけた情熱の深さに私は驚かされる。
情報化社会と呼ばれる現代社会においてさえ至難の業と思えるこの仕事が、六〇年も前にたった一人の図案作家の手によってなされ たという事実は、それだけで賞賛に価するであろう。
ところで本書にはそれぞれの図に付された簡単なネームと一頁の序文をのぞけば、解説その他の文章は全く付されていない。 河辺氏がどのような意図から大量の装飾文様を選択され、模写されたのか、またその文様を、モチーフ別でも、建築、工芸品、染織品とい ったような分野別でもない、そしてまた必ずしも年代別でもない排列で五巻に編集されたのか、正確には知るすべがないのだが、著者が単に文様の研究家ではなく、東京美術学校出身の優れた図案作家、つまり実作者である点から、恐らくは装飾文様作成の参考資料として、同時代から後世の図案作家達の実用に供されることを目的として、作家の眼で永い民族の歴史の中で生み出され、または守り続けられて来た莫大な装飾文様の中から目的に合致すると考えられる文様六○○点を選択、模写して、独自の解釈による排列を試みたの ではなかろうかと私は考えるのである。
従って本書に収録されている装飾文様は、当時の美術史上の評価による重要度とか、文様分類上の観点、といったような点よりは、むしろ著者の興味なり、図案制作者としての評価に重点のおかれた選択がなされているわけで、この一人の優れた作家の価値判断に基く選択、正確・忠実というより執拗なまでの模写、彩色、独特の編集になる本書が、同時代の各分野の図案家を主対象としたものであったとすれば、どのように受けとめられたかはともかく、文章による解説などは何等必要としなかったのであろう。
私は文様の研究を思いたってからあまりにも日が浅い為と、従来の文様研究の分野からいえば全くの専門外、門外漢であるために、本書の存在を知ったのが一年ほど前、実際に眼にしたのは実は半年ほど前、中南米の第一次文様調査の旅を終えて帰国した直後のことであった。雄大で荒削りな中にあふれるばかりの生命力を宿した大遺跡の壁面装飾を連日尋ね廻った直後であり、シャッターを切りつづ けて採集した大量の装飾文様を一体どのように整理し、分類したものか頭をなやませていた時期のためもあって、その精巧にして華麗 な模写と、既成概念にとらわれない図版の選択、編集に非常に興味を持ったのである。
ところで私は著者の河辺正夫氏と同時代に生き、同じ図案制作者としての共感をもって本書を眼にしたわけでも、また明治、大正期 における図案界の動向に通じているわけでもない。私には現代に生きる人間として現代の眼で本書に接することしか出来ない。従って 本書の装飾文様の選択や編集方法について評価を下してみてもそれはあまり意味がないことのように思える。私は本書を装飾文様研究の貴重な資料として、大正期つまり六〇年前の一人の図案作家の優れた記録であり証言として高く評価したいと考えるのである。
また、私共の研究室のメンバーが、昨年文部省の科学研究費の補助を受けておこなった桃山期を中心とする装飾文様の採集調査でも、 対象物の杉色の剥落や風化による変色、磨滅、破損、時には焼失等によって、目的を達することが出来ず、この調査が数年早ければ、 若し十年前に採集しておけばと非常に残念な思いをしたケースを経験している。こうした意味からも、本書の収録図版の原画が大正初 年に図案作家の手によって描かれている点に今日的な価値をみとめるのである。
無論、本書は前述した通り大正期に生きた一人の作家の創造上の興味や関心、主観に基いて編まれているので、若しこの本を現在の日本の装飾文様史として考えるならば、日本の文様史の上で欠くことの出来ない主要作品の欠落や、片寄り、または寺社名、作品名等に誤記のあることも事実である。しかし私は前述した理由から、新版の解説でこれらの欠落した資料を追加して、日本装飾文様史として完成させようなどとは全く考えていない。そのようなことが若し出来るとすれば、それは原本著者の河辺正夫氏の仕事であるし、ま た著者が生きておられたら改訂版を出版されたかも知れないのだが、残念ながら河辺氏は本書が出版された数年後、大正七年に他界されたと聞く。
そこで私は別冊では原本の収録図版にふれながら日本における装飾文様の変遷に関する私見と、私たちが現在着手したばかりの文様研究調査について述べてみたいと考える。従ってここに掲載する図版は、若干の解説補助の目的を持つ図版をのぞけば、以上の目的で 選択したものであって、原本を補い得るようなものでないことを初めにおことわりしておきたいと思う。
私は本書をはじめ目にした時、分野にとらわれない図版の収録に先ず興味を持った。一体この著者はどういう分野の仕事を日常手掛けていた人なのだろうか。当時の東京美術学校長であった正木直彦氏の簡単な序文に、永年図案に従事した人とあるだけで他に何の記述もないので原本からそれを知るためには図版を検討するしか方法がない。たまたま私は十年程前出版された友禅染の人間国宝であった三代目故田畑喜八氏の手描きによる取材メモ帖ともいうべき図案覚書きを編集した経験から、この時期の優れた図案作家達が日常の 制作活動の資料とするために、非常に広範にわたる文様資料収集と模写による取材を行なって来たことは知っていた。当時の出版事情 号えれば、自ら取材する以外に資料入手が困難であったこともあるが、田畑氏のメモ帖からは、こうした事情以上に自らの眼を信じ、自らの選択にその資料収集をかけていた作家の姿勢が感じられた。だが田畑氏のそれが、作家が自己の日常の創造活動を行なっていくた めの非常に個人的な取材メモであり覚書きであるのに対して、本書はもともと当時の図案作家達の資料として実用化されることを目的として編まれている。この点からこの著者は伝統的な図案制作に携わって来た作家ではなく、何か新しい分野の図案作家ではなかろうか、と私は考えたのである。収録図の選択や排列をみていると、それが図案界の資料として編まれているというより、図案界に自己の図案に対する姿勢を示そうとしている、つまり新しい分野の開拓者的な気負いのようなものを私は感じたのである。だが一体どのよう な分野の人かとなると私のとぼしい経験から染織図案の専門家でも、金工の分野の人でもない、わずかに装飾文様史に建造物の文様色や飾り金具を選んでいる点その他から、建築に関係する図案家ではなかろうかという推理をたてたにとどまったのである。
その後、これだけの大書物を出した人だから研究室に戻って調べればすぐに経歴など判るであろうと考えた私の軽率さに気付いたのは本書の解説を引き受けてしまった後であった。いかに乱暴な私でもまさかこれだけの大書物の著者を推理で片付けてしまうわけにはいかない。色々と私なりに調べたのだが門外漢の悲しさ全然わからない。ついにいたしかたなく私共の研究所長でもある山辺知行氏に助けを求め、山辺先生のご助力でやっと河辺正夫氏が東京美術学校図案科、明治三十二年の卒業生で、岡山県出身の室内装飾に携わったデザイナーであること、大正初年に渡米しニューヨークに在住していたこと、大正七年に亡くなったことまでが判明したのはつい先日のことであった。
というわけで私は現在河辺正夫氏に関しては、日本装飾大鑑とこの簡単な経歴以上に何ひとつの知識も持っていない。ただ私の疑問、一 体日常どのような創造活動に携わっていた人か、また何故私が調べてもわからなかったのか、という点と、東京美術学校図案科の第一回生であり、インテリア・デザインを専攻していたこととアメリカ留学の経験も含めて、同ジャンルの先駆者たらんとする自負を強 く持っていた人であろうことはわかったような気がする。
本書の図版、編集からの著者に対する当初の私の推論は少々は当たっていたといえる。そこで本書の広い分野にわたる一点ずつの文様が施されていた作品について、その美術的価値判断なり、表現技法を解説してみても、無意味のように思えるし、またそれは私など の任ではないと思うので、解説ではそれぞれの装飾文様のグループについて、その文様の持つ意味を、簡単に論じるにとどめたいと考えるのである。
以下「装飾文様の流れ」「原色図版解説」「文様研究に関する私見」の順で、原色図版を中心に装飾文様に関する若干の意見を述べる こととするが貞数の関係もあり、「文様の流れ」の項では「図版解説」との重複を出来る限りさけているので、この項の中で重要と思わ れる場合でも、文中特に解説参照とは記していないが、解説と重なる場合は解説の項を見て頂くこととして、簡単な記述にとどめたの でご承知頂きたいと思う。
紐の歴史は人間の生活とともに古い。人間が生活上の必要から、物を結び、連ね、あるいは束ねたりする ために繊維を用いることは、早くより行われたことと思われるが、その用途の上において、強度を増し、あ るいは装飾的要素を加えるために繊維を紐に組むことを考えたのも、かなり古いことであろう。紐は材料が 有機質の繊維であるために、古い時代の遺品の現代に伝わるものが少ないが、わが国の場合、縄文土器の文 様や埴輪の人物の飾紐などにその旨を伺うことができる。
こうした原始的な紐が現代の高級な工芸組紐に発達するまでには、長い年月を経てきたわけであるが、紐 の本質として、それが常に物に附属するという従属的性格のため、その研究は工芸の他の領域に比しておく れていると言わざるをえないものがあった。
わが国の古代の紐は長い間比較的素朴な形でうけつがれてきたが、奈良時代に入って唐代文化の影響の下 に、その技法、配色、図柄などに大陸的要素の強い組紐の出現をみるにいたり、これが基となって次の平安時代には、わが国独特の優麗典雅な組紐が作られるようになった。このように奈良時代の組紐は、わが国の 紙の歴史において最初の新しい展開を示したものであり、またそれ以後の組紐の発展の源流をなしたものと して注目すべきるのである。
一般的に紙には古い遺晶が少ないが、正倉院には奈良時代の組紐がかなり多く残されており、早くより専 門家の注目するところであったが、これに関する全般的調査研究は、これまで行われたことがなかった。そこで正倉院事務所においては、昭和四十三年正倉院の組紐の学術調査を計画し、道明新兵衛氏に委嘱して調査を開始したが、同氏は間もなく病床に 年までに院蔵 紐の主要なもの三百点余について調査が行われた。ここに公刊する『正倉院の組紐』は、 その学術調査の成果と、これに関連する多数の図版を収めたもので、本書により正倉院の組紐の全貌はほぼ明らかにされたと言ってよい。本書の刊行が、奈良時代の組紐について詳細な知見を斯界に提供するととも に、今後の工芸組紐の発展の上にも資するところ少なくないことを信ずるものである。
ここに調査を担当せられた上記二氏の御尽力に対して深く感謝するとともに、本書の公刊の日を待たずして昨年十一月長逝せられた道明新兵衛氏に対し、謹んで哀悼の意を表する。
昭和四十八年三月
正倉院事務所長 後 藤四郎
まえがき
正倉院には、工芸組紐の発達史上きわめて貴重な、また美術史的にも非常に価値の高い組紐がおびただしく残っている。一二〇〇年 も前の、しかも工芸の一範疇に、このように優れた遺物が、かくも豊富に存在しているというこの現象は、世界にも類がない。その素 材(繊維)、用途に考えをおよぼすと、まさに奇蹟に等しい。
これらの遺物に直接ふれ、調査、研究し、しかるのちそれを発表することは、まことに意義の深いことと信ずる。
これらの組紐は、一二世紀以上にもわたる年月を経てきたため、その残存状態もさまざまで、完璧にちかい状態のものから、粉状を 呈するものまで千差万別である。
明治以降、莫大な数の宝物は、正倉院当局の手で着々と修補、整理、分類されつつあり、とくに近年にいたっては、科学的方法の開発により、温度、湿度調節のもとに、末長く保存されることになった。ここにおいて未調査の組紐が、公に、はじめて専門的に調査さ れることは、実に時宜を得たことといえる。
道明新兵衛(株式会社道明取締役会長)、山岡一晴(株式会社道明取締役社長)は、宮内庁の委嘱により、昭和四三年一〇月、および補足として昭和四四年一月、昭和四五年二月、の三期にわたり、正倉院の組紐を調査する機会を与えられた。 「調査にあたっては、正倉院事務所作製の組紐目録(巻末「正倉院宝庫納在組紐類総覧」参照)に従い、すでに整理、分類された組紐のうち、調査可能なものの、個々にわたって総合的観測を履行した。
図説・日本の結び
昭和十八年、小著『昭和結び方研究」を発表した。各方面から多くの批評と声援を受け、著者として重責を感じたことがあった。当時出版社から重版をうながされ、 その準備もできていたが、例の大戦末期で、印刷紙の配 給統制から中断のやむなきにいたった。その後、再版も きることながら、同書が実用向きの便覧程度をいでなか ったので、このさい、全面的に増補して改訂完本を出し たいと願っていた。
折りも折り、終戦直後のころ、福山藩士阿部家の伝書と 結び方雛型資料数百点を入手することができ、つづいて 三原城下の豪商川口家の資料を披見する幸運にめぐまれ たので、近世の武家と町家の貴重な資料をあわせ得て本 稿完成に拍車をかけることになった。そのうえ、これまで通覧する機会を得なかった伊勢貞丈の『包結図説』の原 本をはじめ近世の写本・刊本数部を、畏友島田貞一氏か ら借覧する機会にめぐまれ拙稿の校合に完璧を期し、い ささか確信をもって着手できるようになった。 阿部家の資料は、大小二個の箱に納まり、雛型模型の結び二六七点からなっている。別に小冊子二部の写本説明 書がついている。そのなかの一冊には『結方図説蘊奥』の 標題がある。この模型の二ヵ所に安政五年〈一八五八〉阿 部正婦と花押があるから、これらの雛型はそのころ製作 されたものと判断できる。 川口家の資料は、包みと結びの雛型で、やはり二箱に納 まり、そのうち、結びだけの数は四〇種ほどで数は少な いが、前者とくらべて同種のものはなく、ことに珍重に 価するものがあった。年代は『一束一本折形覚書』と『幕雛形添書』に享保六年〈一七二一〉、『名乗祝紙』には天明 三年〈一七八三〉の墨書がある。 伊勢貞丈の『包結図説』は天保庚子十一年〈一八四○>静幽 堂新版の板本。その下巻に『むすびの記』がある。この書 の初稿は宝暦九年(一七五九〉に最初書きあげ、宝暦十四 年〈一七六四>追補されている。
一、すべての結び方をその機能の上から、作業結びと装 飾結びとに二大別し、そのおのおのを接合法・結着法・ 「結束法・縮結法・結節法の五種に分類することが出来 た。
一、結びを原始から、呪法に、測量に、記録に、伝達 に、結び本来の技能以外にまで利用された歴史的事実を 明らかにした。
一、秘蔵の民間資料をはじめて公開し、技法を、誰にも 「結べるように、すべて図解によって克明に説明した。 一、多くの資料によって、結びに民俗学上の新らしい意 義を賦与した。
一、本書は、巻末の索引とともに、結びの百科事典にも なるであろう。
今まであまりかえりみられなかった事項に多くのページ を費やしたり、とくに地方色のある資料に一項を設けた りしてある。 作業結びと装飾結びの比率が後者に大であることも装飾 的バラエティーの繁多であることから当然であった。し かし、水引とか帯のようにときの流行によって変化のお びただしいものは代表的手法をあげるにとどめた。また 結髪・服装・甲冑その他武具・編物などの技法はそれぞ れの専門書によるほかはない。
本稿に掲載した千余の結び方は、数種を除いてすべて著 者の実験によって確かめられた。さし絵は全部著者自筆 であることも付言しておきたい。 結びの名称は、同種のものでも、用法により、用途によ り、かつ方言も加わって、種々呼び名が変わっている。 これらを皆取りあげることは煩雑ではあるが、索引の便 もあり、後日の記録にもなるので、すべて収録しておくことにした。
本稿をまとめるに当たっては、多くの辱知諸子のご支援 に深い感謝の意を表さねばならぬ。ことに、農山漁村に 働く無名のかたがたのご芳情は、著者の脳裡に深くきざ まれてながく忘れることはできないであろう。 想えば、前書初稿以来四十年を閲している。今日恩義の 人たちや何処? 多くはすでにこの世を去ってしまっ た。孤り、面識の機を得ず、むこと切である。遠から ずわが身も果てることだ。せめて本稿の完成を契った諸子にこの遺書を贈る。願わくば菲才を熱して、偏に諸賢 の叱正を乞うのみ。
終わりに、本書の刊行にあたっては築地書館の土井庄一 郎社長の特別な御とりなしにより、編集部の中島、渡辺 の諸氏、その他多勢の方々の懇切なお手数を煩して完成 されたことを深く感謝しております。
一九七三年秋彼岸の日著者識す
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