埼玉県草加市より明治の宮廷画家 五姓田義松等各種図録買取。いくつか気になったものを紹介させていただきます。
まずは絵画の図録です。明治の宮廷画家 五姓田義松
このたび神奈川県立博物館では開館二十周年を記念いたしまして特別展「明治の宮廷画家―五姓田義松」を開催するはこびとなりました。 「五姓田義松は幕末から明治期にわたって、他に先がけて日本洋画史上に大きな 足跡を残した画家であります。特に十代前半から天稟の画才を発揮し感性豊かな 作品を残しました。フランス留学中には日本人としてはじめてサロンに入選するなどその活躍ぶりは目覚ましいものでした。また宮中とも関係が深く、宮廷画家といわれる所以ともなりました。
この展示会はそうした五姓田義松の作品三百点を集め画業の全てを辿ろうとす るものであります。
開催にあたり貴重な所蔵品を快くご出品いただいた方々、ならびに、ご協力を 賜った方々に厚くお礼申し上げます。
次に陶芸の図録です。琉球陶器の最高峰・人間国宝・金城次郎のわざ
線彫りの魚が水泳ぎ、海老がおどる沖縄の陶芸・南屋焼にロマンを吹き込んだのが、重要無形文化財保持者(人間国宝)・金城次郎氏です。本展は、金城氏の喜寿を記念し、作陶生活60余年の代表作 品と関連資料で金城芸術の世界を表すものです。
沖縄県那覇市与儀に生まれた金城氏は、12歳で見習陶工になりま した。しかし、雑役や走り使いなどの下働きばかりで,一人前にロ クロを蹴らしてもらえたのは17歳のころだったといいます。若き日 の金城氏に民芸の影響を大きく与えたのは,大正末から昭和10年代 にかけて沖縄を訪れた濱田庄司,柳宗悦,河井寛次郎らでした。
昭和21年,那覇市壺屋に開窯してからは、努力と才能が実を結び ます。技法は飛飽,三島手,刷毛目,指描き,染付,赤絵,三彩な ど中国,朝鮮,東南アジアの陶芸を思わせます。なかでも大胆な線 彫りの魚文,海老文は代表的な文様となっています。47年に沖縄県 指定無形文化財,60年には国指定重要無形文化財保持者(人間国宝) になりました。
本展の開催と図録の企画,構成,製作にあたって、並々ならぬご 支援とご協力をいただいた研究家,施設,愛蔵家の皆様に心からお 礼申し上げます。
幼少のころ、家が貧しかった関係で新垣栄徳の製陶所で見習陶工として働いた。その当時,新垣は壺屋陶業界のリーダー格であり,そこで彼の影響を受けた。
大正13年,浜田庄司が新婚旅行で来沖し,滞在,当時わずか12歳の金城次郎は壺屋で製作中の浜田から多くのことを学ぶ。なかでも壺屋陶器のすばらしさを大和人の浜田に教えられて発奮,技術習得に励んだ。
昭和14年,柳宗悦を団長とする沖縄民芸調査団が大挙来島,らの人々の知遇を得て、大きな感化を受けた。また、既にその当時,金城次郎の非凡な才能と技術は庄司,河井寛次郎らの認めるところであった。
戦後は豊平良題らのよき沖縄文化のリーダー達のもとで、精力的に制作活動を 彼の体中に流れる壺屋陶工の熱い血と強烈な個性,健康で明るい人柄,たゆまざる収努力によって、今日の地位は築き上げられた。