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埼玉県さいたま市西区より恩地孝四郎版画集・上製本・白井晟一題字他美術書宅配買取
いくつかピックアップさせていただきます。
まずは恩地孝四郎版画集。この画集には特装版もありますが、送っていただいたのは上製本になります。
後記
人の死というものは、時の経過とともにひとつの心象として追憶になっていくのが常なのだろう。私も、もし父を愛情と記憶だけに、遺してておけたら、どんなに楽だろうとおもう。だが、それではすまされない気持ちが時を経るに従って私を駆りたて、せめて私の手で父の業績 を何かの形でまとめなければと、在米作品のデータを揃え、父の遺した断片的な記録をまとめたりしていた時、突然、形象社から画集出版のお話があった。没後二十年近く誰も手をつけようとしなかった「恩地孝四郎」をそれも、石油危機のあおりで出版事情最悪の一九七四年にである。
感謝のうちにも、その無謀ともいえる果敢な決意に、正直いいって仰天した。だが、画集は見事に完成した。それはひとえに、生前の父を全く知らない形象社の方々が、父の芸術に深い理解と愛情を傾け、 あらゆる困難を克服し、並々ならぬ努力をつづけてくださった成果であった。
父は四十余年前に「出版創作」と名づけて「海の童話」「飛行官能」 を創った。作品同様「早く生まれすぎた子供」の宿命を負って、当時ほとんど顧みられなかった。刊行者は、ただ父の芸術への傾倒と愛情をかけて、この二つの作を遺してくださったのだ。そして没後二十年、形象社は同じ心でこの画集を贈ってくださった。
画集の生命は色である。ことに若い時から「カラリスト」といわれて いたという父の芸術は、その「色」がすべてを決する。ところが初校刷 の段階でさえ、ほとんど完璧に近い出来ばえだったという。そのために 惜しみない努力を重ねてくださった光村印刷には、ただ感謝あるのみで ある。戦中戦後、職としていた装本の分野で、父はどれだけ苦い忍耐を 強いられただろう。芸術家としての良心を逆なでされるような日々を送 った父に、この画集を見せたいと思うこと切である。ただ、控えめで華 華しいことを嫌った父は、さぞ面映ゆさにうろたへただろう。
父は外見まことに柔和で温順ではあったが、裡に激しいものを持ちつ づけていた。その多くが私であったのを肌で感じとっていた私は、その 怒のみを受けついで、すべてに腹をたてつづけていた。だが、今回、こ の画集を縁に、私の怒は消えていった。そして、父は本当は実に恵まれ た人だったのではないかと思うようになった。父はまだ生きつづけてい たのだ。白井先生初め、御協力をいただいた各位の心の中に、深い理解 と愛に育くまれて。
二十代初めから版画にとりつかれ、自分の作品は売れないものと決め (事実売れなかった)、装本の仕事で生計をたてながら、「版画が大手をふって歩ける」道づくりに、限られた命を消耗していきはしたものの、 父には父のしっかりとした足跡があり、それを見つめてくださっていた方 方がこんなに沢山あったとは。そして、この画集が契機となって、昨夏 は東京国立近代美術館で回顧展がひらかれた。食い入るように見つめる 若い人達の姿を見て、私は「本望でしょう」と父に語りかけていた。す べて没後二十余年のことである。
今回、普及版刊行の意図も、すこしでも多勢の方に、ことに「版画ブ ーム」とやらの今、すでに一九一三年以来黙々と版画の道を歩きつづけ た父の姿をじっくり見ていただきたいからなのだ。父の持論であった、 「人々によろこびを与えられる」ものとして、この画集が受容されるこ とを心から願っている。 一九七七年二月
恩地三保子
こちらも同じく画集ですが、幽霊の画集です。「日本の幽霊名画集」水木しげる氏の文章も収録されています。
板橋区立美術館 安村敏信
監修の辞
幽霊は怖い。幽霊という言葉を聞いて誰しもがまっ先に思うのはこれである。では、幽霊の絵と言った場合はどうであろうか。おそらく、多くの人が、陰惨 で恨めしげな女性の幽霊を思いうかべるのではあるまいか。ところが、世に有 名な円山応挙が描いた幽霊を見ると、楚々とした美人の顔に描かれている。こ のギャップは何だろう。
数年前、私はあるコレクションの幽霊画集の出版に携わったのだが、その折 りに、日本の幽霊画が単に恐ろしく凄惨なものばかりではなく、中にはコミカ ルとさえ言えるものや、男性の幽霊など広汎な広がりをもっていることを痛感 した。この幽霊画のもつ幅広さは、日本人の旺盛な好奇心の現われであり、怖いものすら茶化してしまう楽天的な精神の発露ではなかろうか。
この多様な幽霊画の名品を精選してビジュアルな形で示し、怖いものはより 怖く、美しいものはより美しく、コミカルなものもそれなりに見せることがで きれば、日本絵画の新たな断面を提示できるかも知れない。それが本画集を編んだ主旨である。
肉筆画を中心に選んであるが、浮世絵版画では歌舞伎に取材したものが多い。 これは浮世絵が芝居と共に歩んできたことを示すものだ。
巻末に寄せられた様々なジャンルで活躍しておられる方々の、幽霊画に対す る言辞も、知的好奇心をくすぐるスリリングなものであり、見るだけでなく読 んでも楽しめるものとなっている。
本画集が、幽霊画の世界に新たな地平を与えることができれば幸いである。
水木しげる
だいたい幽霊に限らず、というのは目に見えない存在 で、強いて言えば感ずるものであろう。
感ずると言っても、幽霊には恐怖心がつきまとうから、 恐怖におびえて取り乱したり、腰を抜かしたりするのが 通例になっている。つまり、その感じ方もはっきりとはして いないのである。
戦争中こんなことがあった。敵の死体が目の前に転がっていて、見ると上等の靴を履いていたので、それを脱がして自分で履いた。すると仲間 の古参兵にひどく叱られた。
敵の靴を履くのだけはやめてくれ、というわけだ。なぜ だろうと僕は思ったが、考えてみると、古参兵殿は僕の感 じることのない恐怖をその靴、に対して感じたにちがいななるほど同じ靴でも死体の靴となると、恐怖心を抱く のはわからないでもない(僕は抱かなかったが)。その恐怖 心がひいては幽霊というものを生み出すのであろう。
この場合は靴という明確な対象があったが、子供時代には原因不明の恐怖」を感じることがよくあって、みな暗闇などを恐れたものだ。
大人になってからは、それが多少薄らぐものとみえて、 幽霊らしきものを見ることもあまりなくなる。幽霊を見るのは、子供と女性の特権かも知れない。
しかしそういうこととは別に、目に見えないもの は 我々のまわりに数多くある。
ジャングルとか砂漠といった人のあまりいないところで、 僕はそれをよく感じる。目には見えないけれど、確かにいる。そうしたものを 幽霊、と言ってもいっこうにかまわ ないが、あるもの”が存在しているのは確かなようだ。
向こうもこちらと話がしたいようであるが、会話の道は 普通人には閉ざされている。
オーストラリアやアフリカでは、そうしたものを、精霊と 呼んでいるようだ。「精霊とは霊的なものすべてを含むら しい。アボリジニ(オーストラリアの原住民)などもさかんに 目に見えない精霊のことを口にする。彼らの手になるおびただしい精霊像を見ていると、その存在は疑うことのでき ないものと思われてくる。
同じ目に見えないものでも、こちらは日本の幽霊とは違 ってちっとも怖くない。 この『日本の幽霊名画集』を見てもわかるように、日本の幽霊はだいたいにおいてとても怖い。しかも、いじめ殺さ れたような弱々しい女性が多いようで、何となく哀れだ。 外国にも幽霊画はないわけではないが、日本のものとは違 って魂の根源を揺さぶるような感じではない。思わず笑い を誘うようなものさえあるが、日本の幽霊画は見ていて 笑う、なんて気持ちにはとてもなれない。
僕がとくに心惹かれるのは江戸時代の幽霊画だが、恐 怖画、という新しいジャンルを確立したとしか思えない迫力を感じさせるものばかりだ。しかしじっさいに見る幽霊 とは違って、腰が抜けたり、心臓がドキドキしたり、失神 したりする心配はない。だから恐がりの人でも、女性や子 供でも安心して眺められる。それに会おうと思ったらいつ だって会える。即ち本をひらけばよいからこれほど便利な ものはない。
漫画家としての立場から見ると、恐怖を具体的に表 現するためにいろいろと工夫しているのも同じ表現者とし てよくわかる。
人間は死ぬと霊になるというが、こんなに恐ろしいも のかどうかは別にして、改めて霊、というものについて考えさせられる。
こちらは年季が入っていますが、蒔絵師伝・塗師伝。発行は昭和7年ですが、序文は大正13年です。なかなか珍しい。入荷は初めてです。
書は題名の如く蒔絵師と塗師の伝記なり・順序は姓名の五十音順を以てす
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