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明治の彫金・海野勝珉とその周辺

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埼玉県 春日部市
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担当スタッフより

埼玉県春日部市へ伺いました。明治の彫金・海野勝珉とその周辺各種図録多数ありました。

いずれも発行年度は新しいものですが、その中から比較的珍しい図録を紹介させていただきます。こちらは工芸の図録で海野勝珉の作品を中心に明治期の彫金の名品を紹介しています。

明治の彫金・海野勝珉とその周辺
明治期彫金の名品に親しんでいただくとともにその高度な技術と表現に触れていただく機会になれば幸いです

彫金とは金属の表面に鏨(たがね)で文様を彫ったり,切り透かしたり,そこに他の金属を嵌(は)め込んだりする装飾技法のことです。日本の彫金は,桃山時代から江戸時代にかけての刀装具の製作,いわゆる装剣金工の分野で大きく発展し,それ以外にこの技術は小物類などの装飾にも活かされてきました。明治維新を迎えると,廃刀令の公布などによって,それまでの彫金の需要は大きく減少し,一時衰退しますが,新しく流入した洋風の生活様式に用いられる,花瓶や煙草箱などの調度に彫金が用いられるようになりました。また,19世紀後半以降,国内外で盛んに開催された博覧会に彫金による図額や置物などが数多く出品されて好評を博し,精巧な彫金技術による新たな装飾美の可能性が見いだされました。彫金技術が様々な調度に取り入れられて,そのバリエーションが広がった明治時代は,彫金が最も華々しく脚光を浴びた一時期であったとも言えます。

本展では,この明治時代を代表し大きな足跡を残した彫金家・海野勝珉の作品を中心に,同時代の優れた彫金作品の数々を紹介します。海野の《蘭陵王置物》は明治23年(1890)の第3回内国勧業博覧会で一等妙技賞を受賞,また《太平楽置物》は明治33年のパリ万国博覧会に出品されたもので,どちらも海野の代表的な作品であると同時に,明治期彫金の代表作です。さらに明治天皇の大婚25年を祝して献上された《色紙貼交屏風》は,画家の原画をもとに,海野をはじめとする彫金家17人が色紙形を製作した合作で,歴史的にも貴重な作品です。 本展を通じて明治期彫金の名品に親しんでいただくとともに,その高度な技術と表現に触れていただく機会になれば幸いです。


 装剣金工

―近代彫金の出発点
明治時代前半の彫金を支えていたのは、江戸時代に華麗な発展を遂げた装剣金工の 技術であった。泰平で穏やかな時間が流れた江戸時代、刀剣をはじめとする武器類は 実用性よりも鑑賞性や装飾性が重視され、意匠に工夫を凝らした刀装具が、「家彫」と 呼ばれた室町時代以来の流れを汲む後藤家をはじめ、新たに勢力を伸ばした「町彫」と 呼ばれる彫金師により製作されるようになった。また、大名や公家はもとより富裕な 町人層の間では、日常生活で使用する根付、煙管、簪、帯留などに細密な意匠をあし らった小物を携帯することが普及した。これらの高級日用品にも洗練された彫金の技術が活かされていた。このように江戸時代の貴顕から武士町人にいたる人々の身の回 りを飾ったのは、のちに世界でも高い評価を得ることになるミニチュア・アートの逸品だったのである。

しかし、明治維新を迎え、その後の明治九年(一八七六)の廃刀令布告によって、刀 剣に対する価値観が一変すると、刀装製作に携わっていた彫金家も需要を失うことと なった。そのなかで廃業する者がある一方、新しい購買層の需要に応えるべく、旧来 の技術を用いて製作に励んだ者もいた。水戸で刀装具の製作をして活躍した彫金家の なかで、名手として知られた萩谷勝平も新しい作品に挑んだ一人である。

また、大きく需要が失われたとはいえ、刀装具の製作は完全に途絶えてしまったわ けではなかった。新興の富裕層のなかから、大名家から散逸した刀剣や刀装具そのも のを集める蒐集家が現れ、彼らの求めに応じて新たな刀装具が製作されることもあったのである。そのなかでも、明治大皇の御下命により製作された刀装具は、あえて江 川の意匠に趣向をこらした装剣様式に依らず、明治の復古的な時代性を受けて古式に倣った作風を示し、威風堂々たる近代刀装具の記念碑的な存在となった。この刀装具 を中心になって製作したのが、彫金界初の帝室技芸員となった加納夏雄である。


古様と新様
明治二十年代~三十年代中期

明治二十年代になると、彫金界では新旧の世代交代と見られる出来事が起こる。新 たに台頭したのは明治二十三年(一八九〇)に開催された第三回内国勧業博覧会で、「蘭 陵王置物」(M7)を出品して一等妙技賞を受賞した海野勝珉である。海野はすでに明 治十年の第一回内国勧業博覧会から出品しており、まったくの若輩というわけではな かったが、この受賞を弾みに明治二十年代以降は順風満帆の栄達を遂げていく。

躍進する海野に対し、幕末~明治前期における彫金界の立役者であった加納夏雄は、 東京美術学校教授、そして帝室技芸員に就任し、名実ともに当代一の名工として後進 の指導、皇室の御用を務める地位にのぼり詰めていた。さきの第三回内国勧業博覧会 では審査官を務めるとともに、「百鶴図花瓶」(M9)を出品して、熟達の彫技を見せて 海野と同じく一等妙技賞を受賞し、晩節に輝きを放った。

この二人の作風の違いは第三回内国勧業博覧会出品作に顕著に表れている。加納が 塾による直接的な彫りの表情を主体としたのに対し、海野は色味の異なる金属を使っ た色彩感と立体性を重視する方を選択した。これについては、海野は約十年後の一九 ○○年パリ万博出品作である「太平楽置物」(M8)においても同様の手法を用いて、写 実主義をさらに押し進めている。加納の片切彫による彫刻手法は、大型作品に絵画的 表現をするために選択された伝統的方法。一方、海野が選択したのは色金を駆使し、 丸彫による同時代の写実的な彫塑に迫らんとする新しい手法であった。両者とも、のちに「工芸」とは明確に区別される「絵画」や「彫刻」への親近性を示しており、展覧会 場という近代的な作品発表の場でこそ映える、一品製作の方法を生み出したのである。


近代彫金の正統
明治三十年代後半~大正期

明治三十年代後半から四十年代にかけて、全国規模の博覧会であった内国勧業博覧 会の時代が終焉を迎え、海外における販売促進の絶好の機会であった万国博覧会にお いても、回数を重ねるごとに日本の美術工芸品に対する関心は失われつつあった。そ のような状況を受けて、刀装具から巻煙草箱や置物、花瓶などの上で多彩に展開して きた彫金家の仕事も、国内を重視する製作へと転換し、次第にその形状や意匠が定型 化する様相を見せるようになった。

加納夏雄の没後、明治後期の彫金界を牽引したのはまぎれもなく海野勝珉であった。 帝室技芸員の重責に就きながら東京美術学校教授として後進の指導に当たる一方、日本美術協会や日本金工協会などを中心に、自らも展覧会への出品を精力的に続けてい た。その海野に続き、帝室技芸員となったのが、加納の弟子・香川勝廣であった。江 戸彫金の伝統と加納の確かな技術を受け継いだ香川は、海野とともに明治後期の彫金 界で双璧をなした。また、同じく加納に師事した塚田秀鏡も大正二年に帝室技芸員に 任命され、加納の系統は大正期においても健在であった。

海外での日本製の美術工芸に対する熱狂が冷めると、明治前期に盛んに製作された 輸出向けの彫金作品は数少なくなる。本章で取り上げたのは、そのような時代の変化 のなかで、皇室への献上品や日本美術協会が主催する美術展覧会への出品作など、帝 室技芸員を中心とした彫金家が丹精を凝らし、日本国内の高い鑑賞眼に応えようとし た優品の数々である。なかでも銀花瓶は皇室への献上品として多く用いられた品目で あり、限られた器形のなかに瑞祥を表す伝統的な絵画意匠が盛り込まれた。このよう に、明治後期から大正期にかけて、彼ら名工たちが明治の彫金の品格を後世に伝えたのである。


こちらは王家の肖像・明治皇室アルバムの始まり

王家の肖像・明治皇室アルバムの始まり
近代肖像画の系譜という視点に加え天皇の肖像を通し時代の視線が視覚の世界を変容させることを紹介

日本の歴史の上で明治期は肖像の時代といっても過言ではない時代です。その時代の資産階 級は油絵肖像画を欲しがり、国家に功績があった人物はモニュメンタルな肖像彫刻となりまし た。一般の人々も写真の出現により手軽に自分のポートレートを持てるようになりました。

明治天皇の肖像はこうした傾向の頂点に立っています。近代国家を形成しそれを維持する体 制の中で、明治天皇はその頂きとなる存在になりました。この時代の流れに対応するかのよう に天皇の容貌は変化してゆきます。明治天皇にはさまざまな容貌の肖像画がありますが、最終的には威厳や尊厳を兼ね備えた天皇像が生まれました。

また明治天皇は一般の人々のあいだで最も知られた存在になり、木版画、銅版画、石版画、 それに写真に撮られた天皇像が数限りなく出回りました。はじめはほとんど似ていない天皇から、ここでも次第にあるべき姿の天皇像が形成されてゆきます。本展覧会は近代肖像画の系譜という視点に加えて、天皇の肖像を通して、時代の視線が視覚の世界を変容させることを展示 によって具体的に紹介するものであります。

さらにさまざまな国家行事、あるいは観劇や競馬などに出かける天皇や皇后を描いた作品、また天皇一家や皇族が一堂に集まった光景を描いた石版画なども数多く刊行されました。それ らの作品を見ると、まさに皇室アルバムの始まりというべき雰囲気があります。本展はまた視 覚を通して皇室そのものが一般に知られてゆく様相も併せて見ようとするものであります。

開催にあたり貴重な所蔵品を快くご出品いただいた方々、ご協力を賜った方々に厚くお礼申 しあげます。 平成十三年四月一
神奈川県立歴史博物館


明治天皇の生い立ちと語られ始めた容貌

明治天皇は嘉永五年(一八五二)九月二十二日に孝明天皇、母は中山忠能の二女で 側室の慶子とのあいだに生まれ、祐宮と命名された。生まれてくる皇子がつぎつぎと 早世する中で、期待された誕生であった。皇子は中山家に預けられて安政三年(一八 五六)の秋まで養育された。万延元年(一八六〇)九月立親王宣下し、睦仁の名を受 けた。慶応二年(一八六六)十二月二十五日に孝明天皇が没し、翌年一月九日に践祚 している。慶応四年に元服し、その年の三月「大坂親政」で初めて内裏から外に出た。 本来の平穏な世の中であれば内裏の中にとどまる運命にあったのだが。それでは幼い頃の天皇はどのようであったのだろうか。天皇は元来病弱で、風邪などをよくひいた 記事が『明治天皇紀』に出てくる。だから宮中でも無事育つかどうか危ぶまれていた。 また病弱な子にありがちな癇癪持ちであり、神経質であったといわれている。元治元 年(一八六四)禁門の変の際、銃声を聞いて引きつけを起こしたともいわれている。

その生活は生まれたときから、基本的に女性的であった。周囲には女官が侍り、言 葉も女性言葉であった。周囲には粉黛の具が置かれ、眉墨を描き薄く白粉を塗ってい た。髪型も最初は稚児髷あるいは童髪であった。天皇は年令があがるに順じて服装を 変えている。慶応四年には「童服」を脱ぎ、髪を切り元服したが、臣下に廃したお歯 黒をまだ染めていた。

慶応四年三月の「大坂親政」で大坂の東本願寺において初めて大久保利通、木戸孝 允ら、薩摩、長州の藩士たちに謁見している。同年閏四月一日にイギリス公使パーク スに同行し天皇を見ることが出来た書記官アーネスト・サトウは天皇の容貌を次のよ うに述べている。「多分化粧しておられるのだろうが、色が白かった。口の恰好はよく なく、医者のいう突顎であったが、大体から見て顔の輪郭は整っていた。眉毛はそられ て、その一インチ上の方に描き眉がしてあった」。同じ英国書記官のロバート・ミット フォードも印象的な天皇の容貌や振る舞いについて書き記している。「玉座の間に入場 した時、天皇は立ち上がって、我々の敬礼におこたえになった。その時の天皇は輝く ような眼光と明晰な表情をたたえた立派な少年だった。彼の動作は威厳にあふれ、世界中のどの国の統治権より何世紀古くから連綿とつづいた王朝を継ぐお方にふさわしくみえた。(中略)お顔の眉は剃り落とされ、ひたいの上に墨で眉が高く描かれていた。 頬には紅をさし、唇はお歯黒で染められていた。このように生まれながらの姿をゆが めた化粧をして、なお品位を損なわぬことは並大抵のわざではなく、高貴な血統はお おいかくすべくもない」としている。また肥後藩士として天皇に謁見した横井小楠は 「御容貌は長か御かほ、御色はあさ黒くあらせられ、御声はおきく、御せもすらりとあ らせられ候、御器量を申しあげ候へば、十人並にもあらせらるべきか」としている。

時代は少し下がるが、明治五年当時開成学校の生徒であった菊池武夫が開成学校へ 行幸した天皇の印象を郷里の父に送った書簡に「昨日主上臨幸有之書生一同畳二丈隔龍顔を拝候実ニ面目之至二候・・主上ハ馬車ニて御出ニ候故外ニても何れも得と拝見 仕候御装束ハ色之上衣併所謂十二単衣なる者ニて茶の袴・・御顔色ハ思外黒候得共 並人よりハ白候御顔立ハ長キ方ニて見高く随分厳然タル者ニ候御顔杯中々しまり候て 華族之ぬけ顔トハ雲泥之違ニ候外国人等も賞賛致居候」以上見てきたように天皇は髪を伸ばし白粉を塗って紅をつけ、眉毛は描き眉毛でお 歯黒もしていた、衣服も伝統的な衣装で、今日我々が持っている明治天皇のイメージ は全くない。容貌や身体の記述についてはそれを彷彿させるところが若干あるだけ ある。

明治天皇のイメージが成立するのは明治六年三月の突然のようにみえる断髪と同 六月の西洋の服飾を取り入れた御軍服同略服の制定である。

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