埼玉県北本市より複製掛け軸等宅配買取。といっても本ではなく複製掛け軸買取させていただきました。ありがとうございました。点数が少ない場合でも宅配での買取は可能です。
千利休筆・茶道具注文黒印の文
これは、利休が自筆でしたためて、署名の下に「易」という印文の、小形の黒印を押した、茶の 湯道具の注文状である。棗(茶入)一箇、小板一枚、袱紗一つ、茶巾五つ、茶巾洗一箇、面桶 (本舗)一箇、柄杓一つという、合わせて七種の道具を、道哥という人に注文している の であ いる。これらの道具を、大津の利休の宿舎へ届けてほしい、と言っているところを見ると、利休が、近江の大津にやってきて、図らずも、近日、茶事を催すことになったので、京都あたりにいる茶友の道哥に依頼し、何はともあれ、茶事を行うのに必要な道具類の調達を求めたものと思われる。もちろん、名物道具などは、不必要としたらしい。
利休の自筆消息、書状の類は、筆者が資料蒐集しただけでも、二百八十通に達しているが、 ここに見られるような黒印を押したものは、 三通しか発見されていない。 その点、 この書状は、珍品に値するといわねばなるまい。
沢庵和尚遺墨・夢 こちらの題字は川端康成です。
今回複製された一幅(東海寺蔵、講談社刊)の「夢」の一大字に、「百年三萬六千日、彌勒観音幾是非、是示 考赤參,鏡勤夢観音夢、佛云應作如是観矣」(一年を三百六十日にすれば、百年は三万六千日になる。人間どん なに長く生きたところで百年そこそこである。弥勒菩薩は釈尊滅後五十六億七千万年、人寿八万歳の時にこの世 に出現して、釈尊の説法に洩れた衆生を済度するといい、観音菩薩は三十三身に身を現じて衆生を救済するというがこの百年三万六千日をどのように見るであろうか。これ夢といえば夢に過ぎなかろうが、ただの夢である はずがない。
『金剛般若経』に「一切の有為法は夢・幻・泡・影の如く、露の如く、また電の如し、応にかくの如き観を作すべし」とある通りである) と記しているが、この「夢」の字句と書蹟とにこの人の全生涯が偲ばれ るような気がする。ちなみにこの書は最晩年の筆であろう。
なお,澤庵の書画に関していうべきことはまだ多くあるであろう。ことに書にあっては玉室、江月との合筆に 見える気合の美も稀に見るものである。また名墨蹟の添状、点字にもすばらしいできばえのものが存する。これらのことについて論ずることはまた他日を期そう。