中村甲刀修史館寄託・蔵品図録・有事断然・一息裁断の美など日本刀関係の図録・書籍を送っていただきました。ありがとうございました。
中村甲刀修史館縁起 ~ごあいさつにかえて~
甲冑・武具の研究を軸に、刀剣にまつわる史話の考証などをはじめて、もう大分の時がたちました。調査 のため諸方から武具刀剣類を、それも長期にわたってお預りするのは常のことです。しかし預託を受けたま までは惜しい。そこで専門家の研究のためなら特別にお見せするということで、京都戦陣武具資料館 (旧称 戦陣武具資料参考館)というものを設けました。爾来、既に二十年近い歳月が過ぎました。
その間、是非公開を!という一般の人々の声頻りで、何とかこの要望に応えたいものと願っておりました。 自分にしか出来ない武具専門の美術館の実現は私の人生の夢でもあります。
ただ信用だけで貴重な資料の預託をしてくれている所蔵者方に、夢のような公開資料館実現の可能性の予 告を折にふれ時にふれ言いまわって、公開への了解だけは、おおむねではありますが、早々と取りつけてし まいました。これがまず第一の先決条件です。暇をみつけてはの場所探しがそれから始まりました。故郷彦 根は勿論、京北山の奥、はては四国川之江の戦国の古城址まで・・・。
「所詮は、やはり夢か―」 大した資金もない上のあてどのない探索放浪。旨い具合にいく程世の中甘くない、 しかし今ふり返ってみれば、そのような夢さがしの旅を続けること自体が、たとえ徒労であっても退屈な日 常生活のくりかえしの連鎖を破ることになって楽しかった。しかし、その時の現実の思いは「無理な算段は、 やめた」でした。いい年齢をして、夢ばかり追っては生きられない。諦めました。
その途端、まさに断念したトタン、何と隣家が売りに出たのです。しかし、これも話としては条件的にむ つかしく、断腸の思いで諦めていたら、他の不動産業者から同じ話が舞い込んで・・・そして結局私の手に・・・。 遠い所ばかりさがしまわっていたが、本命は何と足許 隣りにあった。灯台下暗しというか、運命の皮 肉というか。これが縁というものなのでしょう。目に見えぬ天恵というものをこの時ほど感じたことはあり ません。「中村甲刀修史館」は、このような訳合いで誕生しました。
館の本体は江戸末期建設に係わる茶邸、文化財的な古い邸屋ですので、戦国豪族の居室を再現した他は内 部を出来る限り旧状を損なわない現状維持に努め、外観を武家屋敷に改装しました。表門は井伊家の京都藩 邸(河原町朱邸)大門を模し、門内に井伊神社 (御神体井伊直政公)を祀りました。 玄関脇の茶室嘯雲庵は 京都山崎妙喜庵の利休の茶室待庵の規模に則り、持仏堂には伝一乗止観院文殊菩薩坐像 (等身)を安置して います。
私は、私自身は勿論、古武具やその歴史に政治的な色合いをつけることは大嫌いです。それを断った上で いうのですが、現代ほど有事断然の実精神が要求されている時代はないと思います。 有事断然、一息截 断はまことの武士の精神です。このささやかな資料館がこの心を少しでも体現し、合わせて古武具のみなら ず、歴史や武道に心をむける人々の末永き談議所となれば幸いこれに過ぎるものはありません。また私自身いまも、これを機に更に古武具を大切にして研究にいそしむ決心をしました。 時を越え、現今に残るものには目 に見えぬ命が宿っています。この命をおろそかにはできません。
中村達夫敬白