埼玉県和光市にて富士門徒の沿革と教義等仏教書他買取。仏教書も様々ありますが、今回は日蓮正宗の書籍等がメインでした。
今回は富士門徒の沿革と教義を紹介させていただきます。
本書は富士門徒の主軸をなす日蓮正宗が数ある日蓮門流の嫡系であり唯一の正義であることを学問的に論述した本格的な学術書である。
著者はこの撰述をなすにあたりまず富士門徒上古の史実と相伝法門及び妙法曼荼羅に一般史学的交渉と近代科学の分析手法を駆使した照明を当てて実証主義の立場からその足場を固めた上で、深遠な富士門徒の相伝法門を他門流の教義との対比をしつつ説明しその学説を確定している
本書は、富士門徒の主軸をなす日蓮正宗が、数ある日蓮門流の嫡系であり、唯一の正義であることを学問的に論証した本格的な学術書である。
著者は、この撰述をなすに当り、先ず、富士門徒上古の史実と相伝法門および妙法曼陀羅に、一般史学的考証と近代科学の分析手法を駆使した照明をあてて、実証主義の立場からその足場を固めた上で、深遠な富士門徒の相伝法門 を他門流の教義との対比をなしつつ説明し、その学説を確定している。
著者が、このユニークな研究に着手した動機は、「富士門徒には独自の法門があって、それが仏教史上の重要問題を提供している。然るに、一般学界はそれを知らず、論ずる者はあってもトカク客観性を失った水の掛合になる。これは仏教史界の大欠点にあらずや。これをみて黙っているわけにいかぬ。――何としても自分がこれに当らなければと、この本の序論に述べているように、歴史学者として、仏教史家として、真実を知った以上、これを発表しなけれ ばならぬ、
富士宗学要集・10冊/堀日亨編
緒言
一、本集は大部の富士宗学全集中の要篇及び其の他の古文書新文献の中より編集したものであるから時代に依り学匠に依り自然に醇雑相交り正傍反の三篇に大別すべきも、本集には成る可く反系の書 を省いた。
一、正系必ずしも完美で無く傍系亦大に依用すべきものもある。殊に史伝に於ては著しく其の傾向を見るが故に、薫猶相雑なる書類では柄檀を採るが為に且らく伊蘭の林に入らねばならぬ、但し成るべく一々に天註を加えて幼学を迷は さぬようの指針に供しておいた。
一、各文中に伝写の誤りと認むるものは此を訂正するに客ならざれど、正本に就いては縦容に附した所もある。
一、原本には句逗点返り或は有り或は無し手爾波も亦完からざるものがある。今は。、を附して句逗を明かにし又漢文態のものは総て延べ書に直した。
一、毎冊二三の正本写真を附して記念に供したが、正本存在せぬ分には最古の写本を用いた、又終篇には各実物の写真を附することとする。
一、原本には多く内容目録が巻首に明記して無いから索引に委する事にした。
池田大作
日亨上人が御逝去の直前に編纂なされた、富士宗学要集第九巻法難編の創価学会の項において、上人は「学会の復興も忽ちに成り、意気中天に達し○法滅の末法忽ちに変じて正法流布の浄界と成り、広宣 流布の大願成就近きに在り、悦ぶべし、喜ぶべし」とおおせられている。 それよりすでに七年、その後の創価学会の、全世界にわたる広宣流布の大進軍を、上人はいかばかり 御満悦のことかと拝察するものである。