東京都荒川区のお客様より、醍醐寺聖教目録など段ボール6箱送っていただきました。画像の本は一部になります。ありがとうございました。
総本山醍醐寺は、聖宝理源大師が鎮護国家、令法久住の大誓願を以て、貞観十六年(八七四)に開創され、醍醐天 皇・穏子皇后の深い御叡信のもと、朱雀・村上両天皇の帰依を賜り一山の基盤が確立された。
爾来、幾星霜。醍醐寺の歴史は、平安、鎌倉、南北朝、室町、桃山、江戸と変遷する中、時折々の英雄の外護を受 け、荒廃苦難の風雪をしのぎ、歴代座主の愛護法の念により寺はよく護られた。しかし、近代、明治維新の廃仏毀 釈の悲風は、この寺にも容赦なく吹き荒れ設立基盤は大きくゆれた。この時、寺は歴代相承什宝の流出なきことを第 一義とし、四千ヶ寺末寺を離すことにより、この苦境をしのいだ。幸いに明治三十年代、黒板勝美先生(東京帝国大 学教授)の来寺により、助言・指導のもと什宝の調査・整理、さらに目録作成へと、文化財としての什宝永世護持の 万全の措置が取り始められた。大正三年には、七百函、十余万点を数える古文書の本格的な調査のもと系統だった目 録作成に着手された。そして今日まで九十年間継続的に毎年調査は進められている。
思えば、悠久一千百二十五年の時の流れは、一山浄域の護持とともに、歴代相承の什宝をよく伝え、九十年に及ぶ 史料調査の浄業は、国宝四十一点、重要文化財二万二千九百二十点に及ぶ国指定をもたらし、現在なお調査の進行し ている十万余点の伝承什宝と共に、わが国最大規模の文化財伝承の寺院として国内外注目を集めている。この時に当 たり歴代碩学・黒板勝美、三成重敬、中島俊司、弥永貞三、宝月圭吾、菊池勇次郎の諸先生、さらには歴代霊宝館長・ 佐和隆研、今日出海、圓城寺次郎、西川新次の諸先生の御尊容に接し得た一人とし、その学徳、浄業に「醍醐寺叢書」 の発行をもってお応えすべきであると思惟し、大隅和雄醍醐寺文化財研究所所長(東京女子大教授)と相諮り、永村 眞同研究員(日本女子大学教授)、長瀬福男醍醐寺広報室長と協議を重ね「醍醐寺叢書」の全容を立案した。