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さいたま市緑区の客様より 成瀬関次・実戦刀譚・手裏剣等 昭和初期の武術書

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担当スタッフより

成瀬関次氏の著書といいますと実戦刀譚・戰ふ日本刀等日本刀関係の本が有名ですが、手裏剣という本もあり、こちらもなかなか人気が流本です。

日中戦争軍刀修理班・成瀬関次
戦ふ日本刀・実戦刀譚は、日本刀・軍刀の実像を検証した唯一の貴重な資料である。

日中戦争中に軍刀修理班として出征した際の経験を基に、名刀=武用刀か、現行の軍刀外装の疑問点を 実例を挙げて考察した書

先著『戰ふ日本刀』が、實戰場裡に咲いた日本刀の精華であるならば、本書は、戰ひぬいて歸還した日本刀の功績調査である。彼は花であり、これは、実である。彼と是とは、切り離す事の出來ない相關々係にあつて、さうした真の意味での、姉妹篇なの である。

著者は、昭和十三年二月十三日に家を立ち出で、軍刀修理奉公の軍族に就き、軍屬として尉官の待遇を受け、北支、蒙彊の幾戰場を、九ヶ月の間馳騙して來た。 もとより、本を書かうなどといふ考へは、當時としては毛頭微塵もなかったのであるが、厚めの小型手帳三冊に陣中日記を、薄い手帳四冊に日本刀の諸記錄を、日々夜々、細々と認めて來たものだけは、常に身邊を離さずして持ち廻り、これを唯一のみやげものとして露還した。

想起すれば、彼の徐州の東北要地胡山々麓に、敵の十字砲火を浴び、死の一歩前を彷徨しつ つも、猫かつ克明な記入を怠らなかったとの手帳。徐州陷落の直後、黄河陳留口渡河點の中洲 で敵機の空爆を受け、龍恋のやうな黄泥を共にかぶった此の手帳。蘭封縣の激戰では、兵器部 に從つて大敵の重園に陷り、今度とそは最後だらうと、家人知友に宛てた短かい別謙と共に銀 力鐘につめ、更に雑囊の底に入れ、「これだけは世に残れ」と念じた此の手帳。三度死に直面 して、不思議に命を永らへ得た記念物でもある。

この、命がけの記録から生れたのが『戰ふ日本刀』と本書で、自分は、從軍中これ等の 手記の題名として『血と泥』といふ三文字が最も相應しいものだと、何とはなしに考へた事が 縷々ある。

此の二著の陰には、助手をしてくれた、加古鍛工軍曹、今野軍屬、山浦木工伍長、それから 警護としてつけられた福田上等兵、其の他臨時に手傳つてくれた下士官兵及び軍屬諸君數名の隠れたる援助のあった事が忘れられない。加古軍曹は、愛知縣小牧町の刀匠で應召兵、今野軍 墨は、名刀匠を將來に約束された青年刀匠、山浦伍長は、幕末三大刀匠の一たる山浦清麿を出 した、長野縣醫小諸藩領出身の同姓の應召兵であつたのも奇縁といふべきであり、福田上等兵 は、名古屋市からの應召兵であつた。

先著の成るにあたつて、著者の體驗記錄の生みの親である、本庄陸軍大将閣下に謝恩した。 故に本書を上梓せんとするにあたり、幾戰場に於て、よく著者の使命本領を全うせしめてくれ た、前記の人々に對して、心からなる感謝の意を表するのである。

末筆ではあるが、自分の派遣されて行った主部隊を順に記すと、「西尾、山口、磯谷」「香月、梅津、土肥原、井關」「蓮沼、後宮、常岡」の諸兵團で、直接指揮を受けた上長は、杉村(康) 田中、石井(廣)、石本(寅)、田鹽の方々である。 九ヶ月といふ短かい從軍ではあったが、その足跡は、山西を除く北支蒙彊の殆ど全部に印し、同胞前人未踏の地に達したのであるが、各部隊員から、骨肉以上の愛情を受け、萬事足らぬうちにも、至大な滿足を以て經て來た過去を追憶して、云ひ知れぬ感懐に涙する事さへある。今は、生きて、又は骨となつて各々の故郷に歸還してゐるであらう當時の多くの友の身の上を想ひつつ、此の一筆を特に書き加へる。以上

こちらは手裏剣、上と同様成瀬氏の著書になります。実戦刀譚とは異なり、実践的な内容を含んでいますので、この時期(昭和18年)の本にしては写真・図版豊富です。2000部と書かれていますので残存部数はあまりなさそうです。そもそも手裏剣自体の専門書が少なく、なおかつ昭和10年代のものとなると手に入れるのは難しいかもしれません。少なくとも大手古本チェーンさんの店頭には並んでいないでしょう。

手裏剣・成瀬関次・昭和18年
乏しい資料をまとめて開闢以来はじめての手裏剣の本にしたのがこれである

著者の言葉
私が、手裏剣といふものに思ひを潜めたのは、巻末にも記して置いた通 り、約四十年以前からの事であつた。

手裏剣に関する文献記録類を調べて見ようと志したのは、比較的新らし い事であるが、それでも足かけ十七年からになる。其の間の苦心は、古来未だ一冊の本にも纏まつてゐない事賞を発見したほかに、得るところとては甚だ僅少であつた。

その乏しい資料をまとめて、開闢以來はじめての手裏劍の本にしたのが これである。
正しい記録や碑銘等にある事賞のほかに、私は、昔の講談稗史や伝説物語にまでわたつて廣く資料を蒐集した。

苟も手裏剣に関係のある事、またありさうな事は、根こそぎ探つてこれを集めた。それは、古来一冊もない此の本を書く私の使命として、先づ以て 何でるかでも、手に入るだけのものを收錄して置きさへすればそれでよ い。後世とのみちに志す、第二第三の特志家が、この本を土台として再考證し、是正し補充してくれるだらうと、さう考へたからの事である。

次に、記述にあたり、古武術の尊い記錄としての荘厳味をあらはすために、おどそかな文体でゆかうか、それとも、廣く読んで貰ふために、俗に砕けた調子をとらうかと、これも迷つた事の一つであつたが、結局後者を採った。それは、この術が、誤解されたままで世に伝はり、歪んだままの 国民常識となつてゐるのを廣く是正したいといふ副目的のためでもあつた からである。

最後に、特に断って置かねばならぬ事は、本書の中で、私は、剣道弓道といふやうな称呼を多くは剣術弓術と書いた事についてである。軍部の称呼がそれだから、それに準じたといふのではなくて、私には、かう書かねばならぬ一つの信念があるからである。詳しく述べる余地はないが、要するに、剣術はどこまでも術である。術とは何ぞやといふに、かざのみちを 得たものである。術の字義は、みちの意味である事は、初等用漢和辞典にちゃんとさう書いてある。『物理小識』 には、藝人の曲藝を目して、 これ熟のみ、術にあらざる也。と書いてある通り、術とは、熟のみちに乗った形、即ち錬達して自らみちを成したものとれ術なのである。

道とはただ一本の本道であり大道であつて、日本の場合は「皇道」及び 其の別名よりほかにあり得ないものである。
昭和十八年三月十日陸軍記念日にー

蒔絵師伝・塗師伝 昭和2年

蒔絵師伝・塗師伝
本書は題名の如く蒔絵師と塗師の伝記なり


凡例一

一、本書、題名/如ヶ蒔繪師 – 塗師 – 傳記 ナリ 一、順序ハ姓名五十音順ヲ以テス、 故二別二索引ヲ附セザルモ自ラ便宜アリ

厳密に五十音順に姓名を排列すべき考ありしも、 同姓同家の人は、世代を以て配列し強ち五十音順に依りて其の名を排列せず、例令ば五十嵐 喜三郎は名の順に於て五十嵐道南甫より先だつべき性質のものなれども、 道甫の子にして二代目なれば、喜三郎を道甫の次に刻したるが如きこれなり、

 

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