中国五千年・女性装飾史など服飾関係の図録など宅配買取事例。ありがとうございました。
美を愛すること、これは人間の天性である。文明の時代になって以来、人々は身体を飾ることを 追求し続け、それは特に女性において顕著であった。こうしたことは、古今東西に共通した現象で あると言えよう。 「昔から「文明古国」と称賛された中国は、女性の服飾に関しても幾千年にもわたる変化発展の歴 史を有し、それは中華民族の文化の1つを形成している。そして豊富で多彩な歴史資料は、過去の 輝かしい文化を物語っているばかりか、系統だった研究課題を我々に提示してくれる。例えば、西 城の胡舞が中原に伝播して漢族の服飾へと変化したこと、女性が使用した額黄(化粧法の一種)と 仏教伝来との関係、唐代の思想的開放が服飾上に与えた影響、宋代の朱子学が女性の服飾に与えた 影響、さらには紡織や工業の発展、および工芸技術の進歩に伴ら服飾の発展など、興味は尽きない。 また女性の服飾をはじめ、古代の経済や文化の種々の様相は、いずれも人々の興味を魅きつけるも のである。
周沢、高春明の両氏は、長年に渡って歴代の服装および装飾品の研究に携わってきた。そしてこ れまで大量の文献資料を収集すると同時に、自ら各地に赴き考察を進め、多くの業績を残している。 本書は、学術性、知識性、芸術性、実用性を一同に兼ね備えており、この種の出版物にとって新しい局面を開いたと言っても過言ではあるまい。これによって中国古代の各時期における女性の生 活様式を具体的に理解することができると共に、中華民族の優れた文化の伝統を認識する一助とな ろう。さらには、今日の服飾や生活の上でも参考になり、また中国の歴史研究、文献の整理、文物 の鑑定、文学や工芸美術の創作にとっても貴重な資料を提供するものである。
本書の計画は永年にわたることであった。昭和49年風俗博物館設立後,年2回の陳列替えごとに撮影した ーフイルムがだんだんと増して来たので,これを発表する計画を樹てたが、いざ実際に使用しようとすると ルムが古くなっていたり,影や異物が写っていたり,又考證の点で検討を要したり,難事の連続であった。
私の家は江戸中期宝永2年(1705) 創業になる法衣を取扱う店で,私で八代になる。其の間丁稚時代奉へ 時代祭,染織祭の諸行事に使われる装束の製作に遭遇したことや,学校時代江馬務先生に教えをうけなかった が風俗史へ傾倒する端緒となった。其の後,戦時中軍務や軍需工場に携わったが,昭和19年先代の死にたい 代を継承,法衣の他,神官装束等も取扱うとともに事業の学問的研究機関として財団法人宗教文化研究所ん したのであった。よく他の人から私に対し趣味と仕事が合致してよかったと云われたが,私は自分に与えた」 天職をつくす為にすべてを捧げる心で趣味の遊びもこれにむけたのであると広いたい。しかし今日風俗研究は 味の域を脱して今京都成安女子学園理事長として,又江馬務先生の後を承けて京都女子大学に講座を持ち学をし しての専門的立場に拠らなければならない境遇になってしまった。
昭和30年,まだ一般に外遊が認められなかった時,たまたま3ヶ月間世界旅行の機を与えられ,英国ロン でマダムタッソーの臘人形館を見た時、その迫真性に心を打たれた。又各国の服飾展示の多くの博物館を目 日本でも風俗博物館を作ることを発起し、人形はリアル過ぎない京人形に拠ることにした。風俗博物館設立 馬藤先生、吉川観方先生嘗ては企画され作らついに実現出来なかったものでめった。16号物館設立の供 して昭和33年、京都市美術館で行なった等身大人形による時代風俗展は1週間に約3万5千人の入館者を呼び驚異的な盛況であった。その後、高山義二京都市長や野崎滋賀県知事からも設置に対する御誘いがあったが機熟さず昭和49年4月,堀川新花屋町角の井筒南店ビル建設によりその5階に財団法人宗教文化研究所所轄の博物的, して設立し、同年5月6日博物館法による認証を京都府教育委員会より得たのであった。これよりさき学芸目、 しての資格を与えられていたので、私が館長兼学芸員として就任することになった。その間第1回の京釈古 館における発表に内助の力をつくしてくれた先妻美那子をなくし,又風俗博物館建設に労を重ねた後妻合体1 昭和56年急逝し,初版発表の際の三妻照子も昭和62年他界し,光琳社前社長中島泰之助氏,更に当館事務局まっ あった児玉梅次郎も故人となられ思い又一入なるものがある。特に本年は昭和天皇の崩御の年であったが、、 い時代の夜明けは平成元年として生まれた。私も又新しい妻俊子を迎え光琳社も令嗣中島孝迪氏が社長となられ 初版を大増補した改定本が誕生することになった。特に明年平成2年には今上御一代の御盛儀である即位の 大嘗祭等も執り行われ,それは古いしきたりの儀式によることと承っている。おのずから有職故実や時代風俗は 世の関心をひくこととなるであろう。
この種の書は既に世にありそうでなかったとの事,今後研究される方々の参考になれば幸せであり私にとって も研究の一里塚となったと云える。
末筆ながら御協力をいただいた多くの方々や特に御推薦を頂いた東京の樋口清之先生,丹野郁先生,大阪の自 越憲三先生,京都の紫田實先生,林屋辰三郎先生に対して厚く御礼を申し上げたい。