飯島春敬全集・12冊など書道書をお譲りいただきました。ありがとうございました。
飯島春敬氏は古筆研究においては、書道界における稀少 な存在となっている。今回刊行の全集は、氏の五十年に亘る古筆研究の集大成と銘うっているから大いに刮目に価すると思う。
氏の古筆に対する執念というか、異状な熱意をもって永年に亘って自ら蒐集された名蹟、古筆、文献類が多数春敬 記念書道文庫に収められて一般の利用にも供されているのはよろこばしいことである。
古典の研究が今後の書道発展のために如何に重要であるか、整言を要しないところである。
明治以来続いてきたこの研究が、益々興隆することを期待してやまない。
私の暦を見る
私は少年時代から、つまり文学少年であった。やがて文学青年になったか、生活上止むを得ず書家にな ってしまった。しかし文学の夢は捨て切れず、その間私は佐藤春夫先生や小島政二郎先生の影響を受けた。 大人になって現代詩書道をやるようになってからは、特に草野心平氏、村野四郎氏などに親しくしてもら った。昭和三年からやり始めたその現代詩書道が、精神、技法と共にようやく調和するようになったのは、 敗戦以後のことになってしまった。
敗戦ということは、今考えると大きな事件であった。即ち、精神修養の面で活躍していた書道が、「芸 術」にならなければならなくなったのである。この運動に尽くした私の努力は大きい。一方、日本の古典 や中国の古典に対する新しい努力もしたのである。
即ち、大正十二年の震災に始まり、私自身も激動の中に身を置くことになったのである。激動の中に身 を置くとすれば、その時折々に私のする事も考える事も違って来る。その有為転変の心境を纏めたのが、 「生いたちの記」であり、「時」であり、「身辺雑記」である。
「生いたちの記」は、戦前の私の若い頃の事をエッセイ風に纏めたものである。「時」は、大きな事件の 一、二を取り上げただけである。「身辺雑記」は、日常の私の感情をかなり赤裸々に書いているっもりである。しかしこれは小説ではないので、実に嫌な奴に逢ってもバカとは書けない。時々「バカヤロウ」と 怒鳴った吉田茂氏が、うらやましいと思う。もし私の余命というものが長かったならば、恐らくなりたい ものは小説家かもしれない。またこの「身辺雑記」は、普段私は人様に手紙を上げたことが殆ど無いから、 手紙のつもりで書いている。内容を通覧すると、恋文的要素の少ないことは止むを得まい。私とて生身の 体であるから、煩悩は人一倍持っている。それを表向きに出来ないのは、商売柄仕方あるまい。要するに、 私は筆まめに沢山書いたが、本当の事はまだ書けないでいると言った方が正しいであろう。
しかし、書道界を知らない人から見ると、一書家の有為転変の感想なども多少は役に立つことがあるか も知れない。これらの文章によって、少くとも飯島春敬は根限りの仕事をして来た一個の人間ということ が解かって貰えると思う。まして私は、今年七十七歳を迎えたのであるから、まず長生きと言っていいで あろう。書道界には新しい人材が続々と生まれる。とすれば、過去の書道家飯島春敬の生き様は、決して 無縁のものではないであろうと思う。要するに、私の暦には休日は無かったと言っても過言ではあるまい。 それでも足りなかったことは、私の頭が悪かったのである。
私個人としては、昭和五十年三月に東京美術倶楽部の一~二階で、最後の露出陳列として約三百点の古 筆類を纏めて出し、また昭和五十四年十月には、第一回であり恐らく最後であろうと覚悟して、「春敬の 書一人展」という個人展覧会をやった。これで飯島春敬の仕事はおしまいと思っていたが、私が死んでく れなければ仕様のないもので、それ以後「綜合書道大辞典(全十八巻)」「熱中国碑法帖精華(全二十五巻)」なども刊行してしまった。そしてなお私は死なない。正直言って、本人もやや持て余し気味である。 生きている限りはまだ仕事をしなければ、まず生活出来まい。長生きということの幸せ、不幸せをつくづ く考えさせられる。
昭和五十九年八月一
飯島春敬