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先週になりますが、インド古典叢書・摂大乗論・和訳と註解・2冊他仏教書買取事例。写真に写っているのは一部ですが、約60冊程度になります。さいたま市西区より持込にてお譲りいただきました。ありがとうございました。
本書は、無著 (Asaiga) 菩薩の著として令名の高い『摂大乗論』(大乗を該扶するの論)の和訳であ る。決訳にして三巻ばかりの比較的小さなこの論書は、インド大乗仏教において、特にまた瑜伽行唯 識学派にとって、極めて重要な位置を占めている。本和訳は、一般読者のこの書に対する理解の一助 となることを念願して、なるべく平易な日本語に移すことに努力した。しかし見られるように、和訳 本文よりも注釈の部分が遙かに大きくなって、講義のような形になってしまったことを、訳者は恐縮 に思っている。
私が『摂大乗論』の本格的な研究を志したのは、昭和十四年の春、当時の東方文化研究所において これを研究題目として選ぶことが許された時からである。これを選ぶことは、恩師羽渓了諦先生や、 特に山口猛先生のすすめによるものであり、また同研究所における私の上長であった塚本善隆先生の 奨励に基づくものであった。その当時から、この書が私の生涯を通じての研究題目となるかもしれぬ との予想も、ないわけではなかった。しかし、この書がこれ程に深く、また難解であることは、当時 は気づいてはいなかった。戦時中も、また戦後も、幾度かくり返しこれを講義に用いたが、全巻を読 み終えるのに、私の不手際も手伝って、少なくも四年はかかった。しかも読むたびに新たな問題に遭 過し、透明な理解は容易に得られないままで、今日に至っている。漫然とこれをくり返している間に、早くも四十年余りがたち、右の三先生と名幽明界を分つこととなった。昭和四十六年に定年退官 してから後も、荒牧典俊助教授の提唱で、毎週1回小宅に若い人々が集って、この書の輪読会が持た れ、私はそれを傍聴しながら、多くのことを学びとることができた。今回、これらの諸君のすすめに よって、思い切ってその和訳に取りかかることとなったが、訳業に従いながらも、新たな問題が脳中 に去来し、これに思い悩むことは、今るって相変らずという状態であった。その意味では、和訳とい うことは人に読んでもらうことには違いないが、それ以上に自分のためであるという思いが深い。 『摂大乗論』にはサンスクリット(梵語)の原典が、残念ながら残っていない。しかし四種の漢訳と チベット訳一種とがあり、また世親による注釈と無性による注釈とが、漢訳にもチベット訳にも数種 ある。その他、チベット訳にだけ見られる注釈(著者不明)もあって、資料の点ではかなり多い方で ある。梵語原典のない『摂大乗論』の研究としては、これらの諸訳や諸注釈を彼此対照して総合的に 眺め、無著自らのテキストが如何様なものであったかに一歩でも近づくことが肝要である。本和訳も また、この研究意欲の線に沿うものである。したがって本和訳は、漢訳またはチベット訳のどれか一 つのテキストの和訳なのではない。和訳の具体的な作業の上では、チベット訳は最も基本的なテキス トである場合が多いが、チベット訳に種々の欠陥はあり、四種の漢訳にも種々の長所があり、それらの長所を綜合して和訳することに努めた。そこには秘かに『摂大乗論』のあるべき本来の姿を示そ うという野心が潜んでいる。
さて本論は、偈頌体の部分は少なく、主として散文で記されているのであるが、それにもかかわらず極めて圧縮された形で書かれているので、はなはだ難解である。それゆえ、本文には多くの語を補 って訳出せざるを得なかった。しかしそれでも本文の通読だけで十分の理解を得ることは困難と思わ れたので、次に「注解」を附して、本文をパラフレーズしたり、問題のあり場所や主旨の関連性など を明らかにしようとした。読者は、本文と共にこの「注解」をお読みになるのが便利であろうと思 う。さらにそれに続いて、番号を附した「注」を書いたが、これは主としてテキストの異同や語学上 の問題など、専門的な問題を取扱っている。別に本文の上段に、玄奘による漢訳とその読み下しとを 附け加えた。これは従来の漢訳に親しまれた読者に、比較対照の便を提供するためである。
右のような形の下に、本書には『摂大乗論』の前半を収めることができた。前半だけではあるが、 そこにはこの学派における中心的な二つの柱、すなわち識説と三性説とが詳細に論じられている。こ の二つの学説は、この学派の理論的な面を代表し、それ以前にはほとんど見られなかった新しい立場 を示すものであり、それによって仏教全体を組織づけようとするものである。本論の最も重要な部分 は、この前半に見られるといってよい。下巻には、進んでいわゆる「唯識」の意味が説かれると共 に、実践的な面や解脱論の一環としての仏身説などが含まれるであろう。全体の索引るこの下巻に附 する予定である。
なお本書の巻末には、主としてチベット訳本文からの還元梵文を収載した。さらにそれとの比較吟 味の便のため、チベット訳本文も併せ録した。還元梵文といっても、原文を復元しうるなどとは、誰 にしても考えられないことである。ただ梵文への還元を試みることは、何よりもチベット文を如何に
識んだかを示すものであり、また漢訳における諸種の異訳が如何にして可能であったかを考えること へのよすがとすることである。しかし梵語還元という作業は、いうまでもなく容易なことではない。 そのためには、この学派の用語例を調査したり、この学派に最もふさわしい梵語を探し出したりなど の作業が必要である。実はここに収載した還元梵文は、本訳者のものではなく、もと荒牧助教授の手 に域るものであって、前記の輪読会において毎回これが同助教授によって準備されていた。今これを 借用転載し得たことについては、同助教授に甚深の謝意を表するものである。したがってこれは純粋 に学問的な成果ではあるが、和訳の提供を目的とする本書の建前からは、かなり逸脱した附録という べきかもしれない。しかし専門家にとっては、あるいはこの梵語還元の部分が、本書における最大の 魅力であるかもしれない。
本訳者が幾多の先学、その種々の研究書から、多くの学恩を受けたことはいうまでもない。また同 像や後輩の諸君からも、多くを教えられた。その一々をここに記すことはできないが、感謝の念にた えないものがある。それと同時に、訳者の知識の不足から、思わざるの誤謬を犯すなどのことがある かもしれない。また訳者の勉強不足で、すでに発表されている完璧な研究の存在を知らなかったり、 その他、是非とも参考すべき種々のすぐれた研究を逸したりしているのではないかを懼れる。それら について、江湖の諸賢の示教に悩かならざらんことを願うものである。
本書が成るに当って、これが「インド古典叢書」の一として刊行されることは、訳者の大きな喜び である。それについて講談社出版研究所の野々山和延氏のお世話になったことに対し、厚くお礼を申し述べたい。印刷の段階では、同じく講談社出版研究所の森岡武子氏は、非常な熱意を以て、この煩 織織よる印刷の行程を処理された。また小宅における輪読会の同人である佐々木恵精、兵藤一夫、五 島清隆、榎本文雄、片野道雄の諸氏には、校正を手伝っていただいて、完全なものとすることができ た。併せて厚くお礼を申し上げる。 一九八二年五月
著 者 しるす。
生田耕作
エリファス・レヴィ「高等魔術の教理と祭儀』
近代思想について考察する場合、マルクスの『資本論」と並べてエリファス・レヴィの 『高等魔術」を常にいま一方の極にすえて見つめる複眼的視点が、こんにち私たちには必要 なのではなかろうか。前者が労働の福音書、〈団体》の神話、光と進歩の思想の典とすれ ば、後者は沈思の予言書、〈個人〉の宗教、闇と遡行の思想の典型として、ともに均しい現 実性を主張するにもかかわらず、光》が《闇》を押しのけ、長い白昼のみが一方的に歪め られた支配を続けてきたのが近代社会のたどった歴史といってよいだろう。しかし、こんに ちの世界的なオカルト思想復興は、ようやく訪れた黄昏のはじまり、『資本論」が「高等魔術』の暗闇の中へ没し去る前触れとも見れなくはないであろう。 『高等魔術」の著者については改めて喋喋するまでもなく、オカルティズムに関心を抱くほどの者ならエリファス・レヴィの名を知らぬひとはあるまい。ボードレール、ランボー、 マラルメをはじめ多くの文学者・芸術家・思想家に甚大な影響を及ぼし、「象徴主義」理論 の形成に一役買ったことでも有名である。
エリファス・レヴィは、こんにち西欧に伝わる魔術の基本、 域における権威であり、同時にまたその実践者として、〈魔道中興の祖》と称される。その 経歴を簡単にたどると、エリファス・レヴィ、本名アルフォンス・ルイ・コンスタンは、一 八一〇年パリで生まれた。はじめ僧職を志し、サン – シュルピス神学校に学び、卒業後、助 祭の地位まで進んだが、次第に正統的カトリシズムから遠ざかる。一八四四年に出版された 著書『神の母」は、教会の権威者たちによって異端の書として糾弾された。その後、還俗し、 結婚生活に入るが、間もなく離婚。一八五一年、長年取り組んできた『キリスト教文献事典』を中途で放棄し、魔術の研究に没入する。マルティネス・ド・パスカリと、知られざ る個人、クロード・ド・サンマルタンの学説をもとに、これを補足体系化して、魔術の実践 建文確立し、同時にカバラへの帰依のしるしとして、名前もヘブライ語化して、エリファ メ・レインする。一八六〇年から六五年にかけて、その方面の研究成果を矢つぎばやに まこった。代表的なものに「高等魔術」「魔術史』『大神秘の鍵』などがある。死(一八七五年)の直前、教会と和解したともいわれるが、オカルティストとしての絶大な影響は残り、 こんにちにまで続いている。
主著「高等魔術の教理と祭儀』は、前・後篇二部に分かれ、前半においては、カバラ的・ 錬金術的・キリスト教的角度から、魔術的作業の基盤に横たわる諸原理・諸理論を取り上げる。
いっぽう、第二部実践篇においては、魔法の儀式に必要な諸道具について、さらに降霊術、 呪術、占い等の諸儀式の中での、これらの道具の用い方について具体的な説明が行なわれている。
本書のいま一つの特徴は、随所にはさまれた挿話的記述の興味にあり、魔術小説「ザノ ニの著者バルワー・リットン卿との出会い、またディアナのアポロニウスの霊魂を呼び出 すくだりなどは、そのすぐれた文学性と相俟って名高い。
ヨーロッパ思想の大きな影の部分〉を知るうえで、「高等魔術」はまさしく不可欠の書 物と言ってよいであろう。
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