『梵和大辞典』は,昭和3年にその計画が発表され,当 かけて6分冊の刊行をみたが,以後戦火の余波を受けて中絶 しかし,20余年の後,諸方面からの要請・委嘱に応えて,財団文化委員会委員長であり,梵語学界の第一人者として,当初の計画が発表され,昭和15年から同18年に 戦火の余波を受けて中絶のやむなきに至った。 要請・委嘱に応えて,当鈴木学術財団が,同 の第一人者として,当初から本辞典に参画 この編纂の大事業を再開,昭和39年夏にされていた辻直四郎博士の協力を乞い、この編纂の大事業を中 は、学界注目のうちに第7分冊を刊行した。 その後,さらに多難な十星霜を経て、昭和49年,全16分冊, 昭和49年,全16分冊, 1568 頁10万語とい う大辞典』が遂に完成した。実に 100名を超える真 子的情熱が,学界待望のこの大偉業を成し遂げたのである。
こうして,全分冊の完成をみると、引続いて要望されるのは,先の12点の追加文献を全16分冊に及ぼし,語彙と漢訳語とを増加し,必要な訂正を施すことである。 いかなる辞典も批判,不備 ,欠陥なしにはあり得ない。根本的改訂はさて措き,誤 認や誤植,誤認や不注意の類は鋭意摘発訂正されるべきである。よって,辞典全般 に亘る緻密な検討に基づき,また研究者各位からの忌憚なき批判を考慮に入れて, 増補改訂を行ない, ここにこれを新たに世に送ることとなった。
71頁・6100語にのぼる増補を巻末に付加,別に本文全16 分冊に改訂を施したの が,それである。