昭和四十九年十一月八日の昼すぎ、出版部長の今井育雄君と私は、「広文庫」「群書索引」両叢書の出版許可を得るため、物集高量翁のお訪問した。
当時高量翁は、全く身寄りのない孤独な老人として、生活保護を受けながら 板橋区の一隅に細々と生 活しておられた。週二回派遣されてくる福祉事務所のヘルパー以外には、殆んど訪れる人もない毎日で あった。吾々が訪問したときも、あまり洗濯した ことのないような蒲団の上に起き上って応待して下さった程である。そして両書を出版したいという吾々の申し出に 対して、翁は大変驚かれて、「出すのはよいが、君の会社は潰れるよ。それでもよければお出しなさい。」とおっしゃった。
確かに、両書の出版の歴史をつぶさに調べれば、高量翁の開口一番 の お言葉が、いかに真実性を帯び た、体験を踏まえた上での御発言であったかが了解できるのである。この両書に関係して以来、七十有 年の星霜を経、その間人々の栄枯盛衰を垣間見たり、あらゆる辛酸を嘗めた翁であるから、そのお言 単なる感想ではなく、吾々若い者への忠告であったのであろう。
名著普及会は、物集高量翁の御助言を有難くお聞きした上で、自己の価値判断に基づいて、この両書の刊行に踏み切った。それ以前に、古書店、国文学や歴史関係の諸先生等 に打診して、参考意見を伺っ てみた。しかし企業としての採算上の理由 で、答えは一様に否定的であった。確かに販売会社として創業三年目の小会社が取り組むには、余りにも膨大な出版物であった。 「群書索引」は三巻、「広文庫」は二十巻、両書併せて二万六千頁を超える。製作諸原価 直接宣
伝費を併せると、優に億を超す資金を必要とした。諸処で予測された様に、売れ行きが悪ければ、倒産への道を歩むことは必定である。まさに社の命運を賭けた大きな冒険であった。
しかし出版という仕事には、常に危険と表裏一体をなす面があり、必ず成功すると分ってやる仕事程面白くないもの は な 「本質的に価値のある出版こそが必要である」とは 、大漢和辞典を出版した故鈴木一平氏(大修 館 元会長)の教えである。
再刊に当たっては、実に多方面の方々の暖い御援助を沢山いただいた。老齢の身を省みず種々 尽力された物集高量翁を始め、御推薦を寄せられた「大漢和辞典
の著者諸 轍次博士や国文学、歴史 学、仏教学その他の分野の諸先生に一方ならぬお世話を蒙った。 また復刻出版 とはいえ、一字一字を入 念に修正し、両書を甦らせた製作関係者の無言の努力、そして両書の価値と意義を理解し、両書刊行の 経過を報道して下さった新聞社・放送局の方々の熱意など、数え切れない 出版は当初の予定通り完結できた。それにも増して、最も感謝せねばならないのは、 両書を購入して下さった読者の方々である。
本質的に価値のある出版物は、一時的に何かの事情で世に められないことがあっても、いつか必ず 評価されるという吾々の考えが、「広 文庫」「群書索引 」の出版に、って、ある程度 証明されたともい える。この書物が再評価され、多くの方々に活用されはじめたことは、大変うれしいことである し出版に携わるものは、先人の残した業績をただ生かすだけでなく、更に新たな努力を積み重ばならない。