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豊前守藤原清人 佐藤寒山著・本間薫山序等刀剣書入荷しました。ここのところ宅配・出張となぜか日本刀の本の良書をお譲りいただきました。
豊前守藤原清人も最近目にするのは年に1-2度程度になってきました。もともとは非売品ですので、発行部数も少なかったためと思われます。また下記説明文にも出てきますが、コンプトン博士の著書も併せてお譲りいただきました。One Hundred Masterpieces from the Collection of Dr. Walter A. Compton すべて英文の大判の本ですが、珍しい本ですので後日時間があれば紹介する予定でおります。
監修の辞
財団法人日本美術刀剣保存協会会長本間薫山文学博士
荘内出身の刀匠豊前守清人に対しては、私は同郷の間柄であることから、そして彼が非常に師匠おもいであったと聞くことから、並々ならず親愛感と敬意を持っていたのである。しかし彼の技倆に対しては、正直に申して以前は凡工と思っていた。ところがその後わが協会の貴重刀審査で逐次多くの同作と取り組み、その中から重要刀剣及びそれに準ずるものを発見するに及んで、従来の私見は研究不足のための誤りであったことを恥じるもの である。
もちろん清人自らも認めているごとく、彼の技術は幕末の第一人者である師匠清麿には及ばないが、その上出来に至っては、同時代に聞ゆる諸工の作に伍して遜色がないばかりでなく、出色のものさえもある。そしてその作風には乱刃と直刃とがあって、前者には志津の流を汲む清麿に酷似しているものがあるが、それほどには覇気 とすすどしさが目立たず、一面からみればいささかも衒う気がないことは、彼の人柄を示しているものであろう。
後者すなわち直刃調のものは清麿の作には殆ど見ないところであって、清人の工夫によるものであろうが、それには却って師に劣らぬ程に鍛えの優れたものがあることを見落してはならない。
ともかくも、従来主として作風を通して感じた清人の人柄は生真面目で堅く、さまでおもしろ味のない男とばかりおもっていたのであるが、両三年前に彼の佳作である一刀の銘に「名人に似たるところ二つあり、酒飲みと銭無しと切りつけているのを発見するに及んでほほえみを禁じ得ず、俄然彼を見直し、話せる男と感じたの は私一人ではなく、わが党の愛刀家一同であろう。
この銘文によっても彼は果していかにも師匠おもいであり、素朴で謙虚であり、しかも意外にユーモリストであったのである。
この度、彼の顕彰碑がめでたく立派に建立されたが、いわゆる発起人の筆頭であった私は、おそらくは誰よりも嬉しく思っている一人であり、御協力下さった大勢の同志各位に対して、この紙上を借りて厚く御礼を申上げる。
因みに数年前のことであるが、清人自らが明治天皇に献上したと伝える傑作を、日本刀の世界的コレクターである米国のドクターグ・A・コンプトンが、優秀な古美術品はそれを保存し顕彰するに最もふさわしい所に置くべきであるという彼の信念によって、私を介して致道博物館に御寄贈下さったことをいまさらながら剣界に広く紹介し、建録にもまたご寄附下さったことに深浅の敬意と感謝を捧げるものである。
昭和四十七年六月
豊前守藤原清人頭彰碑建設委員会
会長 酒 井 忠明
今年の冬、刀匠清人の顕彰碑のことで温海町の清人の生家を訪れた時、その分家で清人の孫に当る人に会っ た。温海の奥の山村に住む人で、この人が最もよく清人の風格に似ているということだった。大柄で素朴な誠実 そうな人だった。清人はこのような人だったのだろう。
つい近年まで清人の相槌を打ったという人や、清人を知っている人があったが、今では清人を知る人もなくなった。
昭和四十一年二月、清人の出身地温海温泉に於て日本美術刀剣保存協会の全国大会が開かれた時、岸名誉会長 はじめ一同打ちそろって清人の墓参りをした。その墓はまことにささやかなものであった。私は郷土の名工をい ずれ、われわれの手で世にあらわすことをしなければならぬと、心ひそかに考えたことであった。
たまたま昨年夏、本間薫山先生から、清人の作刀の一振が重要刀剣に指定になった機会に顕彰碑を建てない か。碑文には安政六年作の脇差の添銘「名人に似たる所二ツあり、銭無しと酒?みと」というのがあるが、これ がふさわしいと思う、との御提案があった。
「早速、温海町長に話したところ、もとより大賛成である。そして計画をすすめるや、たちまち中央、地方の愛 刀家並びに有志の絶大な御賛同があり、 昭和四十七年六月、 我々の念願以上の堂々たる「斎藤豊前守清人顕彰 碑」が温海温泉熊野神社境内に建立された。
一方、清人の作刀図譜及び略伝を記念出版すべく、万事佐藤寒山先生に御願いをした。これまた多くの愛刀家 の御賛同により、広く清人の作刀を拝借して写真、押型とし、寒山先生には作風論文を、温海町史編纂委員五十 嵐善四郎氏には略歴の御執筆を願い、「豊前守清人」と題して出版するにいたった。
御多忙のところ万事を御引受け下さった寒山先生には心から御礼を申上げる。略歴については、昭和二十七年の温海大火で清人の資料はほとんど焼失しており、資料不足で御心労多かったことと五十嵐氏にも深く御礼を申し上げる次第である。
こちらは別の方からの買取品ですが、日刀剣書籍ということでこちらで紹介いたします。初版は非売品で(昭和52年)、おそらく後に(昭和53年)図版を2枚増補したものです。昭和50年代の本にしては珍しく巻末には英文が収録されています。
赤松政則の研究に寄せる 姫路 市長 吉田豊信
兵庫県下で開催される日本美術刀剣保存協会の全国大会を機として、赤松政則の研究が姫路支部によって世に問われることの意義 は、誠に大きいものがあると思います。
*赤松時代”と呼ばれる二百四十年は、播州人が自らの政治・経済・文化を構築し、開花させた時代であって、その有形無形の遺産は現在にも受け継がれております。政則は応仁の乱の名だたる武将であって、”赤松時代”の中興の英主として中心的な存在をなしております。小山支部長の研究は、政則の作刀が当時の第一級の作品であり、数少ない赤松時代の遺産の中でも特にすぐれた文化財であることを示すと共に、刀剣資料を介して政則の事績や赤松武士団の解明がなされるなど、地方史研究に大きく寄与するものと思います。
先の姫路市手柄山中央公園の播磨国刀匠顕彰碑建立に続いて、郷土の先人の顕彰に努められる小山支部長、黒田市議会議員らの姫路支部会員の方々には、更めて深く敬意を表するものであります。
佐藤寒山
小山医博は、昭和四十九年の二月号の刀剣美術誌から同年六月にわたる同誌に赤松政則の作刀と長船勝光・宗光に就いての論文を掲げられ、赤松政則の刀剣鍛刀の存在を知らしめた。次いで昭和五十一年七月号及び八月号には赤松政秀の慰打と五郎左衛門清光の播州竜野打に関する詳細にわたる論文の発表があり、更に十月から十二月号には赤松政則と能阿弥銘尽の関係を主として、政則の遺作二口の追加発表と評論が述べられた。
これ等の論文を通じて赤松政則や政秀のことも明瞭になり、勝光・宗光並びに清光との関係も分明になったことは御手柄であり敬服 の外はない。
申すまでもなく、この論文の研究家は本協会姫路支部の支部長でもあり、医学博士でもあられるが、全くここ数年来、赤松政則に失礼作ら取り付かれたとでも表現するより他にない程の熱心さで研究を続けられたのである。
これは或いは当然なことと申すべき事かも知れないが、郷土刀播磨物の研究は実に恐るべきものがあり、嘗つては、手柄山一門の研究を果たされ、その成果を顕彰するために、姫路支部だけの力で、最も一門と関係の深い手柄山公園に立派な記念碑を建設せられるな ど、その功績は大きい。
そしてそれに加えるに昭和四十九年以来の赤松政則とその周辺の研究がある。難波行豊、喜多野則綱、赤松則途、魚住実安、神山周賢、小倉則純等、赤松政則を囲む錚々の武将のことも今度の研究により明らかになり、戦国の世の動静も判明した。
それにしても難波十郎兵衛尉行豊が能阿弥から刀の秘伝を得たという事実はあっても、政則が行豊のために短刀を作り与えたという証拠の品物が出て来たことは貴重であり、早速小山博士が力強く取上げられたことは嬉しい限である。
小山博士の論文はさすがに医学の論文で鍛え上げられている通り、論旨も明瞭で無駄がなく、しかも頗る判り易い。
赤松政則に関する播磨国の略図などもまことに手際よく、この種の論文の中で、特筆大書すべきものと敬服する。
如何に郷土とは言え、郷土史の研究は実に困難なものであり、ましてや文献的に決して恵まれていない室町時代、しかも刀剣関係の事とあっては、小山博士もだんだんにぶっつかる困難には恐らく何度か匙を投げられようとせられたことであろう。そこをじっと堪え て完成を見られるに至ったことは本当に大変な御苦労であったと思う。
今この研究を一冊に纏めて、世に問われる事は、誠に時機に適したことであり、大変お目出度い事であると祝福申し上げる次第である。
昭和五十一年晚秋吉日
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