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刀剣書買取・図録買取 芦葉江と名刀展 薩摩刀と島津家伝来の名刀等各種図録

薩摩刀と島津家伝来の名刀

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担当スタッフより

芦葉江と名刀展 薩摩刀と島津家伝来の名刀等各種図録買取事例。状態はよくなかったのですが、薩摩等の図録はかなり珍しく、入手困難です。ありがとうございました。

薩摩刀と島津家伝来の名刀 ごあいさつ 

昭和六十二(一九八七)年は、波平刀工を中心として作られた薩摩刀が誕生してから一○○○年を迎えます。 薩摩刀は、大和国の刀工正国が薩摩に下って来て刀を打った平安時代の永延年間(九八七~九八九)に始まった と言われています。以来、波平刀工は幕末まで六四代、九○○年にわたって連綿と続きました。このようにひと つの流派が永く続いた例は、ほかにはないと思われます。

江戸時代になると、波平刀工のほかにもいろいろな流派が生まれて来て、薩摩刀界に変化が生じました。これ らの中から、八代将軍徳川吉宗に呼ばれて江戸浜御殿で将軍の刀を打った宮原主水正正清、玉置主馬首安代が出 て薩摩刀の名声を高めました。

「いっぽう、島津家は初代忠久以来七○○年の永きにわたって薩摩の地を治めており、武の国薩摩と言われるのにふさわしく多くの名刀を所蔵しておりました。

今度の特別展では、薩摩刀の歴史を振り返ってみると同時に、島津家伝来の名刀を鑑賞していただき、日本の 代表的工芸品である日本刀の美を理解していただければ幸いです。

最後に、この特別展を後援し、展示等の御指導をいただきました財団法人日本美術刀剣保存協会及び同鹿児島 県支部、並びに貴重な作品を出品していただきました東京国立博物館・京都国立博物館・刀剣博物館をはじめ多く の方がたに心から御礼を申し上げます。

昭和六十二年九月十八日 鹿児島県歴史資料センター黎明館


薩摩刀に想う 坂元盛 愛

薩摩といえば武の国。薩摩武士の差料として用いられた薩摩刀は、忠孝礼節を重んじ、質実剛健となるよう鍛えられ、薩摩士風を象徴するもののひとつでありました。古来、鹿児島には良質の砂鉄を産出していたといわれ、尚武の精神と相まって刀打ちの技術が育まれたといえましょう。

薩摩刀の起源は、平安時代の永延年間に大和国から正国という刀鍛冶がやってきて、谷山で大和伝の刀を打ったことに始まるとされています。 これが世にいう波平一派ということになります。大和伝のほかに、山城 伝、備前伝、関伝、相州 伝があり、これらを称して五ヵ伝と呼び、鍛錬 法、刀の姿などに、それぞれの特徴を有しています。さて、波平一派は 平安から幕末まで九百年間にわたって連綿と続きました。一つの流派が このように長期間刀を打ち続けたという例は余り多いことではありません。

また、波平という名の由来については、次のような伝説も残されて います。ある時、正国が船旅をした折、海が大変荒れはじめ、今にも船 が覆えるほどだったそうです。正国は、これはてっきり海神の怒りにふれたものと思い、自ら鍛えた刀を海神に献上しようと海に投じますと、 さしもの荒波も次第に治まったということです。これを機縁に正国は、「波平らかにして、行くこと安らか」の意味で、波平行安と名乗ったと伝えられています。初代波平行安は、正国と同一人物なりとする説も、これ に基づくものでありましょう。

室町時代の終わり頃までを、波平一派のひとつの隆盛期としますと、江戸時代になると相州伝が薩摩に入ってきます。相州伝は、正宗の鍛錬 法によるもので、武士の間で非常に好まれ、薩摩でも相州伝によって刀を打つ流派が出てきます。滑川河畔の丸田家がそれで、この系統に師事する刀工が相次ぎました。薩摩の殿様自身が奨励したこともあって、相 州伝は江戸時代の薩摩の刀工界を風靡したものでした。このようにして享保年間に入ると、西田の宮原正清、喜入の玉置安代が江戸に召され、 八代将軍吉宗の刀を打つという栄に浴し、薩摩刀の名声はますます高ま りました。なにしろ全国の名工の中から選ばれて、将軍のために鍛刀し、 茎(柄の中に入る部分)に、一葉 葵 紋や主水正、主馬首の銘をきること を許されたわけですから、当時の薩摩の刀鍛冶の技術の優秀さは容易に 想像することができます。

この丸田家をはじめ、相州伝による刀づくりの系統は県内各地に見られ、江戸時代は薩摩の刀剣鍛錬が非常に栄えた時期であったということ ができます。


薩摩刀史論 高潮重義

刀剣の古伝書では、大宝(七〇一~七〇三)の頃に大和国宇陀郡に天 国という名工が出現して日本刀の祖になったと述べている。

しかし、今日の刀剣の世界では反りがついて鎬造であるという日本刀 の基本の形が成立したのは、平安時代中期以降と考えるのが一般的であ る。薩摩国は、古くから砂鉄を産し、しかも武の国としての伝統文化に 独自の発展を誇る気運が強かったので、平安時代に早くも刀工の出現を 見、それから以降江戸時代に至るまで連綿絶えることなく多くの刀工が 輩出した。

古刀期(桃山時代以前)において、その中心となったのは波平一派で ある。薩州谷山郡波平の地は,刀を作るためには、すこぶる恵まれた 立地条件を備えていたことは容易に想像される。すなわち、現在は海岸 線から離れているが、往時は錦江湾の波の打ち寄せる浜辺であり、そこ には良質の砂鉄が豊富にとれ、裏の山には鍛冶炭になる椎や栗の木が繁 茂していたであろうし、陸海の交通の便にも事欠かず、製品の販路も広 かったであろう。

この地に平安時代の永延(九八七~九八九)の頃に、大和国から正国 という刀工が来往し、波平派の開祖になったと伝えている。正国有銘の 作刀は現存しないが、傍系の行正に平治元(一一五九)年の紀年銘のある作が存在し、平安時代から一派が繁栄していたことを物語っている。 正国の子を「行安」といい、以後嫡流は同銘あるいは「安行」銘を襲っ て、長く名跡が続き、近世にまで及んでいる。このように中世から近世 まで跡絶えることなく命脈を保った流派は、他に例を見ず、一つの驚異 といわねばならない。

初代正国を一条天皇の御宇、永延年間(九八七~九八九)とする説は、諸 刀剣書の通説で、また一説によれば平将門の後胤とも伝えている。正国の 作刀は勿論首肯し得るものはない。現存する行安の最古のものは、三河(愛 知県)猿投神社所蔵の重要文化財に指定されている太刀「行安」で、「平治元 年紀」の「行正」の太刀に比し時代的に先行するのではないかと云われ健全 で抜群の名作である。また、島津家重代の有名な笹貫と号のある「波平行安」 在銘の太刀は、鎌倉初期を降らないと鑑せられる名作である。

猿投神社の行安の地鉄は、板目肌がよくつみ柾目ごころ交じり、地沸細 かにつき焼落しがあり、直刃小乱れ風に帽子は焼詰め、茎は生ぶの雑子股 で、鑢目は筋違い、佩き表に「行安」の二字を大振りに切ってある。

鎌倉時代になると板目が流れて柾がかるものが多く、造込みも鍋 高く鎬 幅も広いということから一派は大和の流れをくむという所伝が首肯される。

すなわち鍋高く平肉がよくつき、太刀姿で直刃が多く、ほつれ、砂流 しがあり、鍛えは柾ごころがある。波平が現存する在銘の大和本国の作 と相違する点は、地刃ともに大和物より沸が微細であり、まま地斑があ り、地鉄が比較的に軟く弱い感じがある。古波平にはほとんど焼落とし があり、後代のものにも時にこれがみられる。


芦葉江と名刀展

芦葉江と名刀展
芦葉江は日本刀を愛する多くの人々の手によって護られてきました。姿を大きく損なうことなく伝来 したことは、驚愕に値するものといえます。

「芦葉江と名刀展」に寄せて

このたびの「名刀展」は、芦葉江という号ある刀剣の寄贈を高松市が受けた記念展と聞く。

刀剣を崇める思想は仏教伝来以前からあって、草薙剣伝説以外にも剣を神として祀ったことが『日本書紀』に記されている。経津主神の祖は十握剣の刃から生まれたという。神器、神宝の刀剣から神に刀剣を奉る思想へと発展している。名刀伝説も多い。また刀剣を鑑賞するという習慣もかなり古くから存在している。それには、単に利器というだけではなく地鉄の鍛えの精錬さ、刃文の変化に富んだ表現が明瞭に判るように研磨するという美的表現技術の発達がともなっていなければならない。その意味で日本刀は世界の中での特殊な文化である。

今回の展示は、日本刀が平安時代後期に鎬造答刀様式として成立してから幕末に至るまでの各時代を 代表する作品を選んで、時代順に陳列したものである。太刀から刀へ、槍、薙刀の性格も含めて刀剣の歴史を観るという主旨である。三十余口の刀剣でその総を知るには不足であろうが、陳列の作品はいずれも時代の特色を顕著にしたものばかりである。

最後の「赤羽刀」は戦後接収された多くの刀剣類の中で先人たちが廃棄から救ったものを公立の展示施設へ国が譲渡し、高松市歴史資料館の有に帰したものである。これもやはり歴史を語る資料である。 芦葉江を記念して、この作を中心とした本展開催に携わった各位のご努力に感謝いたしたい。

平成十二年十月 小笠原 信夫


武器でありながら美術品である、というおよそかけ離れた二つの属性を持つ日本刀は、多くの人々の琴線に触れることにより育まれた、世界に類例を見ない日本独自の文化遺産でございます。 日本刀には、 何か超自然的なものが宿るのでしょうか。それを鑑賞する人々の真剣な態度、眼差しには、他の芸術作 品と明らかに違った雰囲気が認められます。

本市に寄贈いただきました芦葉江を収集なされた故下村勲氏も、芦葉江を一人で観ながら、心を落ち着けていたとお聞きしております。その芦葉江は、南北朝時代の昔、多くの名刀を鍛えるも、若くして 亡くなったといわれる謎の名匠・江義弘の作でございまして、「お化けと江は見たことがない」との諺もございますように、極めて貴重な刀でございます。

芦葉江は日本刀を愛する多くの人々の手によって護られてきました。姿を大きく損なうことなく伝来 したことは、驚愕に値するものといえます。その人々の中に高松屈指の旧家で揚一万石と豪語された揚 家がございますところから、故下村勲氏の奥様・幸子氏の御好意により、高松市に寄贈いただくことになりました。あらためて感謝を申しあげますとともに、高松市として万全の体制で保管・伝承させていただき、御好意を無駄にしないよう御約束申しあげるものでございます。

また、芦葉江の寄贈を記念した名刀展を企画いたしましたところ、多くの人々の御好意をいただき、数々の名刀、刀装具等、国宝二点をはじめとした貴重な品々を展示させていただくことになりました。 御出品や御協力をいただきました関係機関や関係者の方々に、高松市を代表いたしまして心より御礼申しあげます。

平成十二年十月 高松市長 増田 昌三

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