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日本刀随感等刀剣書・日本刀の本 さいたま市緑区にて買取事例。前回の続きです。質量とも充実したコレクションで、まだ珍しい書籍がありますので引き続き紹介させていただきます。
序 文一文学博士本間順治
此の君はいまは亡き寒山と共に、私の同郷すなわち出羽荘内の産であるが、長年に亙って古刀新刀を通じて鑑刀と押形に一心不乱に取組んで終を知らない逞しさに対して畏敬を禁じ得ない。まことに謙虚な人柄で日頃自らを学者ではなく一介の学徒であると卑下しているが、いまや立派な刀剣学者に成長されていることを敢て私が証言し、同郷同学の後輩に此の君が存在することを私の誇りともしたい。
此の君が長年に亘って殆ど自ら手がけた夥しい押形の中から鋭意選択したものというだけあって、目利者池田末松氏の助言があったにせよ、私の記憶に浮かぶ名刀並びに資料価値の高い作の大半が掲載されており、そして極めて丁寧な押形であるので、すこぶる貴重である。慾を申せば、幽玄な草書の名筆或は破墨山水にもたとえたい沸出来の刃文にはいさ、か望蜀の感があるが、それは何んの押形にも言えることであり、出来ない注文であろう。いづれにせよ手ぬきしない念入りの押形であることが心地よい。
しかも押形の良さに加えて並列も学問的であることが注目され、むろん総論として記述している時代系統の見どころが正しく、文中に特に随感と題して注記しているもの、多くが、期せずして私の意見と一致している。その他にもさすがに執筆推敲五年の甲斐が随所に表れている良書であって、すでに数多く刊行されている現代の刀剣書に伍して出色と云えよう。あえて学者にも好者にも推薦する次第である。終りに夫君の執筆三昧の家庭生活に並々ならぬ内助の功があったと聞く賢夫人に対しても深甚の敬意を表し祝辞を捧げる。
文学博士佐藤寒山
日本刀随感によせて
今般、片岡銀作君が『日本刀随感』と題する新刀の大集成ともいうべき書を世に問うという。この書はA4版で、押形千二百口、一〇七〇頁に及ぶ豪華本であり片岡君畢生の大著であるという。これは本人自身にとってもこの上もなく満足せられることであり、目出度いことであるが、刀剣界にとっても此の上ない慶祝すべきことでもある。それにしてもこのような名刀揃いの押形を、これ程沢山に根気よく手拓蒐集することが出来たかと思う時、全くその努力にはつくづく感歎するほかはない。元来彼は如才のない人格の持ち主で、誰からも憎しみを受けるという人柄でもなく、むしろ好感を以て迎えられる人物である。これが思いの外多くの立派な資料を蒐集出来た原因かも知れない。
それはそれとして、図版もまことに立派な出来上がりであり、従来出版された新刀の押形集の中でも、まさに一頭地を抜くものである。それは中心の押形も頗る丁寧であり、匁文の描写もよく、苦心のあとがありありとわかり然も上手である。池田末松君の鑑修によるだけあって、刀の選び方も立派であり、充分に信頼出来る刀剣書である。世に信頼のおけない書物はなんとも始末に困るものである。人の迷惑も考えずに、一人よがりのものほど罪悪を流すものはなく罪づくりのものもない。古来「書無きに如かず」などと言われているゆえんである。
この著は、この意味に於いて『日本刀随感』などという一見無責任に似た名前であるが、書いている事は充分に責任を持った一言一句であり、従って刀剣界の為にも大きく寄与するものがあると信ずる。殊に新たに日本刀を学ぼうとする人達の為には、刀とはどういう風にして勉強するものかという指針を与えると共に、「こういった出来のもので、かくかくの銘のものがよい刀である」と、親切に教えてくれる最良の刀剣書であると、私は太鼓判をおして推薦する。
昭和五十二年新春吉日
福永酔剣
「古刀編」発刊を祝して。 著者片岡さんがまだ若いころ、と言っても、今から三十年ほど前である。方々の刀剣会に行ってみて、刀の押形をとっているのは、片岡さんと私の二人だけだった。 押形をとらない人は、一生刀をいじっていても、銘は分からないのが普通である。あなたの先生が押形をとらない人だったら、こちらから破門してもらいなさい、と 書いている先人もいる。それほど押形をとるということは、刀剣愛好家にとって大事な仕事であるが、根気を要する。従って最初はとっていても、いつとはなしに止め てしまう人が殆どであるが、片岡さんはそれをやり通した。その精神力には敬服のほかない。 押形をとるにはある程度、技術を要する。片岡さんはその技術にも恵まれていた。精神力と相俟って、多年のうちに数千枚の見事な押形が蓄積された。 然しそれだけでは、言わゆる宝の持ち腐れである。それを刀剣界のため、生きた宝とするには、公刊という手段が必要である。それには資金という不可欠の条件が揃 わねばならぬが、それも清らかな協力者が現れて、難なく解決したという。 こうして見事な大著が愛刀家に提供されることになったのは、刀剣界のため慶賀に堪えないところである。
吉 川 賢太郎
推薦のことば
片岡銀作氏の永年の懸案であった「日本刀随感新刀編」の著書が世に出てから、早いもので五年の歳月が経過しております。 片岡さんが苦労されて蒐集した押形の数は膨大なもので、その押形をこつこつと時間をかけて整理し、愛刀家として永年に渡って培かった豊富な見識と、円満な人柄 がこの書の随所に反映し、ご本人は随感と題しておりますが、内容の見事な刀剣研究書です。 この新刀編が完成した直後に「次の古刀編はなるべく早い時期に出したいものです」と、並々ならぬ決意のほどを聞かされ、氏の古刀編にかける情熱と烈しい気魄に 圧倒されたものでした。
多くの人の期待する古刀編が意外に発刊が延引した一つに、片岡さんの身辺に因難な問題が山積した為と聞き及んでおります。が、逆境にもめげず、少い余暇を切り つめて古刀編の完成に傾倒し、一時は健康状態も案じられたほどで、まさに全精力をこの一書にかけた真摯な姿に心を強く打たれるものがあります。
本書は先に発刊された新刀編と同様に、刻明な押形が中心で、有名工には小伝を、また各刀工の見所を著者の信念をもって述べられています。常識に富み、親切な内 容は各刀工の見所、特微を会得するには最適の一書です。
並々ならぬご苦労は、古刀編の誕生によって酬くわれた訳で、心からお喜びと敬意を表するものです。と、同時に汎く愛刀家の皆様の座右の参考書としてお薦めする 次第です。
日本刀随感、古刀編完成おめでとう!
池田 末松
先きに肥前刀思考、日本刀随感、新刀編を出版された片岡氏とは、三十年来のお付合であるから氏の研究振りはよく見て来た、研究会等は勿論のこと、どこに行くにも 押形とりの用意をしてどこでも押形をとっていた。この研究熱心の努力は並大抵では続くものではない、この成果が今日の古刀編大成を見たことは明らかであります。
内容の時代考証でもあらゆる刀剣書を読破して、その上何時も謙虚な態度で諸先生の御教示を聞いて、コツコツと研究を積み重ねて総合、推理、考察として総論の随 感に現われているが、氏の研究の深さに驚くばかりです。押形写真も何んと千二百点と言う膨大な資料を駆使し、誰にも解るように丁寧な解説をして、かつてない古刀 の刀剣書であるから、初心者にも愛刀家、識者にも座右の参考書としてお薦め出来るものであります。
氏の人柄であるが、氏が一時事業に失敗し、破産のうき目に遇い八方塞りとなって、古刀編出版も断念していたが、理解ある剣友に励まされ助けられ、この出版にも 凡てを助けたと聞いている。その友人も偉い人であるが、こうした本当の親友を持っている片岡氏もまことに幸せな人である。又奥さんの働きで永い生活を支えて来た と言う、この影の努力も忘れる事が出来ない。併せてこの二人三脚の努力に心からおめでとうと叫びたい。
まえがき
この書は私の古刀押形集で、先きの「日本刀随感・新刀編」に続いて姉妹編として出版したものであります。題字を随感としたのは、私ごとき一学徒が出版するに当っ て、先輩諸氏に対し憚って―題した名であって、つれづれとか、思いのままといった軽いものではなく、内容は反対により以上厳しいものです。全力をふりしぼって書 きました。
押形集めは昭和二十六年から始まり、鑑賞会等で頂いたものが主で、もとより私は刀剣に関する仕事でも、勤めでもなく又刀の商売は一切やらなかったので、押形を集めるには愛刀家、蔵刀家を訪ねて足で集めて参りました。その数古刀でも四千を越していますが、初期のものは押形とりが未熟なため、勉強の記録程度のもので、その刀 は名刀であり、世にも珍らしい名品でありながらも、この書の資料とするには不完全で、押形選びでは涙をのんではずしました。
この書の内容は押形集ですから辞典式に配列して作ればはるかに容易であるものを、自分が勉強している頃から念願していた「総論そして押形」それが私の理想の刀剣書でありましたから、刀剣書式に作りました。五十二年の夏から書きはじめて満五年、ようやくまとめあげたものです。総論は街道順に国別、系統、小伝、作柄の特徴、変遷を明らかにし、また問題になっている刀工には、私の意見を述べるに「随感」の項を設けて比較対照、究明、考察、訴え、また今後への希望等をのべたのも特色の一つと思う。こうした構想で総論を書いて参りましたが、古刀は時代も古いだけに参考の刀剣書も説が区々で、特に系図等では時代がつり上げられて釣合いがとれなく、想像以上に難澁してそれだけでも二年以上も費やしてしまいました。そればかりでなく古刀は新刀に比べて広く一層深いのに今さらながら驚いています。
押形は総べて実大です。古名刀では御物・国立博物館所蔵品を始め古備前、一文字等は努めて多く掲載したのも本書の特色と言えましょうが、古名刀の刃文の表現にはこれまた苦労しました。刃文は刀工の仕上げであって、その刀工の技巧の見せ処であり、一番特徴の現われる所でもあるから、私は初めから中心の銘字と共に重要視して押形に納めてきましたので、全押形に剣先、刃文、帽子を添えることが出来ました。とは言うものの本書は銘字や刃文を明瞭にするのが本命であるから、写真も美術写真で一目瞭然に、また一口ごとに刀工の訓よみをローマ字で入れました。これはアメリカの愛刀家から強く要請があったので、ひらがなの替わりにしました。
押形の解説には造込、彫物、鍛え、刃文、帽子、中心、針等丁寧にくわしく、千二百口に真剣に取り組んで解説をつけ、無銘の正宗、貞宗、江等も載せて刃文や地鉄の特徴を明らかにしたが、この大切な刃文もさらには造込、地鉄を併せ含めてもなお銘字には一歩を譲らざるを得ない。言うならば銘字こそ決定的なものであります。 その真偽については池田末松先生の鑑修を仰ぎ厳選したものです。その銘字を知るためにも多くの押形を掲載し、その変遷や代別の見所に努め、古刀の全貌を網羅して、ご覧いただく方々の立場で編集して参りましたが、もとより一学徒の研究で未完成の刀剣書でありましょう。読者諸氏のご批判とご指導をお願いする次第であります。
あとがき
昭和五十一年新刀編を出版して、その後引続いてこの古刀編にとりかかって見たが、翌年自分の居所までも替える始末となり、今更出版でもあるまいと半ば断念してい
たころ、元剣友の得能一男先生と出逢い出版の話をしたら、自費でも、出版社でも、全部書き終えた時点で又考えようと、励まされた時は、暗夜に光明を見い出したような思いで元気を取りもどし、本格的に押形を整理した。足らないものが相当にある。それを聞いて元刀苑社の中原信夫さんも、秘蔵の押形を貸してくれた。三鷹の小美濃 清明さんも名刀を借りて来ては協力してくれた。又狭山岡の滝沢能直先生の愛蔵刀も、二度、三度と伺って押形を頂いた。遠くは会津若松の米山高道先生からも大きな御協力を頂いて三度もお邪間しました。
その頃五十五年の二月でした武蔵野刀剣会の金山昱さんから、こんどの本はどんな方法で出版するのかと尋ねられ、どっかの出版社から原稿を買って貰うより他ないと思うと話したら、それについて話したいから一度出て来ないかと言われ、深大寺の田中幸雄さん宅で二人で逢いました。「応援するから前通り自費出版でやりなさい」と、元気づけられ余りにも嬉しい御支援で返事にも躊躇した位でした。 この幸せに感謝しながら「悔のない古刀編」を作るんだと、再び決意を新たにしました。一口でも多くの名品を掲載したく愛刀家めぐりを続けました。
鎌倉の森栄一先生は御自分で古刀編を作るように、これを使いなさい。これを載せなさいと名品を紹介してくれた。この御厚情は病床に伏すまで続いたのですが、この書を見ないで逝かれたのは返すがえすも残念でならない。又本阿弥光次先生も名品、珍刀があればお電話で知らせてくれた。愛刀家で知られた渡辺国雄先生も名刀を二度にわたって、押形とりの御協力と御指導を頂いた。又青山孝吉先生も多い御蔵刀の中から、名品六口をお願いして快く押形を貰いました。その他三島の佐野美術館には三回も伺って渡辺妙子女史の御指導と御協力を頂きました。昨年の天皇誕生日には、信州松本の江原正一郎先生宅にお邪間一泊偉い歓待を受けました。厚くお礼申し上げた処「片岡氏だけでなく刀剣界に尽したいからです」と言われ、大きな重責を感じて帰ったのは昨日のような感がしてなりません。又福永先生からはよく御教示を頂きました。
その上この度は宮内庁を初め国立博物館、日刀保の御厚意で世にも珍らしい古名刀を、この紙上に掲載出来ましたことは筆者この上もない喜びです。終りに押形の整理は植松光子さんに、又膨大な印刷の校正を一人で頑張ってくれました、剣友の池川信雄さんには深く感謝申し上げます。かくして念願の古刀編を書き終えました、愛刀家 刀を勉強する方々にお役に立って頂けたら筆者望外の喜びと存じ上げます。
あとがき
五十年の正月より押形を整理しながら、この書の編集にとり組んだが、刀工に依ってはどれを載せようかと迷う程、押形の多いものもあるが、作品の少い刀工は押形がなく弱った。それからも資料集めに一人で歩き続け、先生方、愛刀家、刀商や研師を訪問した。有難いことに、皆様が快く御協力を下さったことは嬉しく感謝している。 押形の一枚一枚が懐しい思出になっているが、刃文の出来等はもう少し時間をかけて描写すればよかったと心残りがする。中でも特におわび申し上げて置きたいのは北窓治国、土肥真了については資料も少く、どの刀剣書を見ても区々で完全を極め兼ねたが、後時間をかけて究明したい。又小笠原長宗と筑前信国正包(重包)は他に資料がな く、拙い押形を掲載してあるが、本刀御所蔵者に深くおわびすると共に、御一報をお願いして置いた。ようやく千百点を用意して、池田末松先生にそれを見て貰ったが、 先生はお忙しい中を鑑修していただきよく指導してくださった。そのうえ足りない押形は所持者を紹介してくれたり、また刀をお借りして押形をとってくれたり、大変な御協力を頂いた。口絵の名刀写真は御所蔵者の特別な御寛恕を頂き、又大塚巧芸社の御協力に依るもので厚くお礼申上げる。その他写真では要史康氏、吉川賢太郎先生の 御協力を頂き巻頭を飾ることが出来たのは大きな喜びである。
押形も有名刀工ほど時代にともなって、銘の変遷を掲載したく、また名の低い刀工もここで紹介して置きたいと、二つの欲望で苦しんだ、加えて新々刀は殆んど裏年紀があるので、一口が一頁を要するので、頁数の超過を心配しながらまとめあげたものであるが、押形の整理では永いこと植松光子氏に、又校正に当っては剣友の池川信雄氏の御協力を頂いて、曲がりなりにも自分が望んでいた押形集を刊行することが出来た。これも一重に皆様の御協力のたまものと、深く感謝申上げている。皆様の新刀の 研究や鑑賞に少しでもお役に立ったら、私にとって望外の喜びである。
昭和五十六年の十月から、日本橋の丸善株式会社の御厚意で、青戸寮の管理人として勤務、翌五十七年八月に古刀編が出版出来たのも、一重に丸善社のお陰と感謝申上げている。そののち先に出版した新刀編を顧みて索引がないこと、又訂正したい部分もあるので改訂版にふみきり、福永酔剣先生の御指導の許で、新しい資料集めに尼ケ崎の根木栄英氏を初め、三島市佐野美術館の渡辺妙子女史、三鷹の小美濃清明氏、鎌倉の本阿弥光次氏等の御協力を頂いた。今回は加えて東京、国立博物館の御厚意で、館所蔵の名品十一口を掲載し得たことは、この改訂版に一層の充実を図ることが出来て、この上ない幸せと感謝している。又出版に際しては金山氏の特別御支援を頂く 等多くの方々の御指導並びに御協力をたまわり、謹んでお礼申し上げる次第である。
○筆者履歴○ 山形県庄内出身 明治44年11月23日生 元日本刀剣保存会評議員 本美術刀劍保存協会評議
ボストン美術館蔵・日本刀・刀装・刀装具集 小川盛弘
このたびボストン美術館東洋部収蔵の日本刀・刀装・刀装具等を収録した図譜の発刊は 当美術館史上記念すべき初の重要な足跡であります。これ等のコレクションの としてウイリアム・スタージス・ビゲロー博士 (1850 -1926)の偉大なる寄附行為によって当美術館にもたらされたものであります。
同博士はアーネスト・フェノロサ (1853-1908)と共に日本美術へのすぐれた総説 つ先駆的学者の一人でありました。7年間の滞日期間中にビゲロー博士は膨大な 美術品を蒐集いたしましたが,その中でも殊に「法華堂根本曼陀羅」はおそらく最高の傑 作であると云い得ましょう。
同博士は同世代の日本の美術家との交流を通じ当時の刀剣界屈指の刀匠たちとも知遇を得るようになり、それ等の作品の何点かはこの膨大なコレクションに納められております
,
この図譜の出版は著者である当美術館の東洋部刀剣金工室長の小川盛弘,験訳者のこ 智慧氏及び大塚巧藝社の撮影及び編集担当者諸氏の献身的かつ忍耐強いご尽力無し。 成出来得なかったものであります。更には刀剣博物館副館長であられ,この企画当初は、 いて高度なご助言をいただき熱心にご指導たまわりました,故佐藤寒山博士の深い知因は に対し感謝の辞を述べさせていただきます。
またフォード財団及び財団法人新日本画文化協会よりの多大なる補助金もこの見事ない 版を達成させる上の大いなる力となりました。
この一巻が日本及び欧米における伝統的日本美術の知識普及に貢献するところ大である。 ことを願って止みません。
ボストン美術館館長 正力松太郎記念部長
ヤン・フオンテーン
本館所蔵の刀剣・刀袋・刀装具に関する出版は、岡倉天心の指導のもとに、後の東京美子 校助教授岡部覚トの手によって進められ、1908年2月に「JAPANESE SWORD GUARD」と想い る 70点の輝の写真を掲載し,501 点の算のリストを記した小冊子が出版された。その後の 原の収蔵品はぴ年増加の一途をたどりながら分類,整理もなされず今日に至った。現在その総数は PAIN の別表に見られるごとく,3334点という応大なものとなっている。 日本の刀剣界には早くからボストン美術館に相当数の刀剣関係コレクションが収蔵されており、その質もかなり高いものであることが伝わっていたが,全コレクションが調査されたことは一度もなく,その全貌は霧に包まれたままであった。
私は1971年より約1年間,ヤン・フォンテーン東洋部長(現館長)の好意により,全収 一通り調査し,その報告書をまとめ,日本や他国にある刀剣関係コレクションと比較し,下 トン美術館コレクションの重要性と,今後とるべき保存対策や,展示室の開設等を取束し ころ、はからずも著者にボストン美術館の館員となって刀剣関係の管理にあたらないかと しが起り, 1972年から勤務につき現在にいたった次第である。
刀のなかには錆びたものもかなりあり,状態の悪いものは早急に研磨が必要であった。 またこれらの収蔵品図録を作り,多くの研究者に便宜をはかることも美術館の使命であり,こ れらの問題を恩師である佐藤寒山博士にご相談したところ,佐藤博士が 1972年11月に来館され、数々の貴重な助言を賜った。それに基づき保存状態の悪いものは日本へ送り修理をして、その機会に展覧会を開催する。また全収蔵品のなかより約1割を選び,ボストン美術館刀剣関係収蔵品の全貌がほぼ把握できる本を作製する等の計画が立案された。
1974年より76年にかけて,日本で52口の刀に白鞘・〇等の工作や研磨がなされた。それらの修理の完成を記念し「アメリカ建国200年記念ボストン美術館秘蔵名刀展」が1976年4月 日より上野松坂屋を皮切りに6月7日まで名古屋松坂屋,小倉井筒屋,熊本鶴屋において開催 され,各地で大きな反響をまきおこした。
この本の出版が計画されてからはや12年を閲したが,その間ご指導,ご鞭撻いただいた佐藤 寒山博士と,常に激励してくださった富田幸次郎元東洋部長はすでにご逝去され,この一書を ご高覧いただけないことが痛恨のかぎりであり,本書がここに上梓できたのも偏に佐藤寒山博 士の学恩の賜物である。
本書を出版するにあたり, フォード財団,および財団法人新日本画文化協会大嶽雅保理事長 から多大な補助金を賜り,ここに厚くお礼申し上げる。また大の親日家であり愛刀家であるウ オルター・エームス・コンプトン博士からは、多くの貴重な助言をいただき参考とさせていた だいた。
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