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無双直伝英信流居合・地之巻 政岡壹實等武道書お譲りいただきました。非売品ということもあり、おそらく二度と手に入らないものと思われますので、紹介させていただきます。個人的にはあまり販売したくない一品です。ありがとうございました。
発刊のことば
現代行われている居合道を拝見するに、単独の抜力ばかりでありますが、その動作は凡て対敵の動作 であることは申すまでもありません。これ故に 人は抜刀の修業だけでは不備と考え、対敵の動作即 ち「抜刀の形」を工夫して油断のない、実戦即応の抜刀を兼修して、武士の面目を立て、きたものであります。他の流派のことは深く知りませんが、我が無双直伝英信流居合兵法に於ては、この精神に添って、抜刀の形は申すまでもなく、抜刀を中心として各種の武道までも発展的に修錬したものであります。
英信流覚書には「抜刀と同時に形の修錬を充分に積み重ねて始めて実戦の役に立つ」旨が記されてあり、単独の抜刀が四十三本あるに対し、二人で行う形が四十五本もあり、尚この外に棒、杖は申すまでもなく柔道、捕縄や、現代の合気道の如きものまで も取り入れられてあります。
然るに現代に於ては、抜刀のみが練され、形は申すまでもなく、他の武芸総で別個のものと考えらているばかりでなく、抜刀そのものも、敵を忘れ た独善的な見せる居合になりつ、あるのではないかと愁へるものであります。
この点を考えまして、英信流に伝わる二人で行う形を、秘伝書を基として目録、口伝書、覚書等を参 照して、現代にふさわしい表現を用いて発表し、全国同志の方々のご研究の一助と致したいと存ずる次第であります。
第二回全日本居合道大会では、東京の先生がたにいろいろな形を、第五回大阪大会に於ても、大阪の先生がたに依って、大江先生が太刀打之位を基として、現在の剣道形に準じて作りかえられた「太刀打之位」を見せて戴きましたので、第六回大会が、香川県で行われることが決定したとき、地元の同志から「形を打ちたい」との申し出がありましたので、「結合と位」を手紙で指導し、組合せ会に参った時、夜分見せていただき二、三注意しただけでありましたが、皆様ご覧のように立派な形を拝見することが できました。
そこで「文書によっても、心ある者には体得できる」との自信を得ましたので、この書を公にする次第であります。尚私が目下指導している居合教室は、初心者ばかりでありますが、時折形も教えています。
単調な抜刀から、文学通り真剣な気分で練習ができて精神、技術両面の進歩に、好結果が表われていると存ずる次第であります。殊に剣道を修めない者には、是非必要であると思っています。
尚、先般居合道研究委員会の節、他の流派の先生ががたに伺って見ましたが、何れの流派にも同様に、「二人で行う形が伝わっている。」 とのお話であったことを付記いたします。
最後に、この発表については、大江先生の作られた「太刀打之位」を中学生の時お習いしただけで、其の他はどの先生にもお習いしたことのないものを、先述のように秘伝書を基として、出来るだけの関係書類を参考として復活したものでありますので、不合理な点、変だなあと思われるところ、斯様ありたいものだ、などのお考えが多いことと思いますので、お気付の点については、大小となくお申出下されたく、お互いに手をとりあって正しいものを再現し、後世に残し伝えたいと念願でありますので、ご協力をお願いいたします。
なお、この発表は、武道専門学校同窓の黒田君の希望によって「武道評論」に発表し、完結すれば書物として出版することになっていましたが、不幸同君が急逝されたので、完結しなかったものを、今回抜刀、形をまとめて発表する次第であります。
昭和四十七年秋 於金城田上莊 政岡壹實
発刊にあたって
著者政岡豊實先生は、昨年七月九日少年剣道指導中急逝されました。先生は幼少より文武に秀いで、特に居合道については、英信流の土俵で、大江正路先生から直伝を授けられた方で、六十余年の斯道の歩みを克明に記述されておられました。
これまでに発表された著書は、「無双直伝英信流居合道天之巻」(昭和三十二年四月初版発行)続いて武道評論に「英信流居合道」を連載されましたが、「詰合之位」の稿で、同誌が廃刊となったため、これまでに発表したものに「大剣取」までの奥伝を加筆され「地之巻」として発刊を計画、昭和四十八年春脱稿され、発行を我々門下生にまかされた次第であります。
鋭意発刊準備中に、先生の急逝に逢い、一時発行 を中止しておりましたが、先生の御意志を後世に伝 へ、門下生の教本としてこの書を残すことが、亡き先生への我々が成し得る唯一の方法と考へ、当時のま、の体裁で、こ、に発刊をする次第であります。
昭和四十九年春 門下生 野田亨 川田光城 中林豊次 松本栄一
近年、日本民族に受け継がれて来た剣道の普及はめざましいものがあり、これにつれて居合道に対する関心も亦大いに昂まってきていることは喜びに堪えません。 然に此際に当り昨年七月九日、居合道界の長老政岡範士が、剣道指導中に突然急逝された事は、真に惜しみても余りあるものであり ますが、この度先生が生前多年の研究の結果を書き残されていたも のを、門下生が出版する事になりました事は、先生の為めは勿論、 居合道修業者にとっても御同慶の至りであります。
この書は数多くの写真を中心にして、居合道を解説しているので、初心者は勿論の事、高段者としても、正に参考にすべき書なりと信ずるものであります。
故政岡範士の御冥福を祈ると共にこの書を広く同好の士におすすめする次第であります。
昭和四十九年初春 木村篤太郎
政岡夏実先生をしのんで
先生に最後にお会いしたのは、昭和四十八年六月二十四日金沢体育館で催された中部居合道優勝大会の当日でした。
七十七才の高令とは思えないV蝶たる態度で審判要領を指示されました。「斬れる居合 であれ……」今でも元気なお姿が目に浮ぶようです。
先生は、少年剣道の育成にも力を入れられ毎日指導に出かけておりました。亡くなられ た七月九日、真夏の太陽がようやく西に沈みかけた頃、「稽古に行ってくるよ」と奥さん に声をかけられ、何時もと変らぬ御様子で内灘の自宅を出かけられました。電車で約三十 分、誠之館道場に着かれ少年剣士諸君と元気に稽古を済まされ、面をとり一息入れられた 時、崩れるように倒れそのま、不帰の客となられました。
先生は何時も「抜き抜きて休まず」の精神を強調されておりました。最後迄剣を離さず、 愛した道場でしかも可愛い弟子達に囲まれての大往生は、亡き先生御自身にとっては本望 ではなかったかと存じます。又我々修業者に斯道の道を身をもって示されたものではない でしょうか。
先生は、高知一中(追手前高校の前身)に入学された時、病身である自分を錬え直さね ばならぬことを痛感し、当時一中の剣道師範であった大江正路先生に師事して剣道、居合 を学ばれたのが、先生の一生を形成されるそもそもの始まりでありました。その後武道専 門学校に進まれ、卒業後金沢三中に奉職されて、爾来武道家としての道を歩まれることと なりました。
金沢在職中、毎年剣道夏期講習会へ来られる中山博道先生(石川県出身)の薫陶を受け られ、その後居合道範士九段、剣道範士と武道界最高の道をたどられました。
終戦後(昭和二十五年)生れ故郷の高知県吾川郡小川村に帰えられ、村会議長に就任す るや戦後疲弊の極に達した農山村の復興に努められましたが、昭和三十年に土佐高校に招 かれ教諭をされておりました。丁度その頃全剣連が居合道を取り入れることになり、初代 の居合道代表理事となられ、居合道発展の基礎を作られたわけであります。
勿論県下の居合道発展にも奔走せられ、当時の部員四、五名で警察学校の講堂をお借り して稽古をしたものであります。先生を慕って集まる門下生は日増しに多くなり、当時の こと故道場もなく、学校の体育館等を転々としてお習いしました。
先生は、英信流の古流を非常に大切にされていました。研究の結果を弟子に打たしてみて、力の理台を究明され完成されたのが大小立詰、大小詰、大剣取り等の組形であります。 先生は、古流の形を尊重されると共に、技の指導に於ては人一倍の厳しさを持って当ら れたが、弟子達を画一的に教えるようなことはなく、人それぞの長所を生かすべきであるとし、弟子の前に立って私のとおり見習えとは決して言われなかった、弟子の欠点の遠因をさぐり要所を指摘されたものであります。
或る剣道家から「居合をやると右手が強くなり、剣道をやる場合右手剣道に陥り易いので、剣道初心者には不向ではなかろうか」という質問があったことを話すと、先生は「それは工夫が足りないからだ、工夫と努力が結びついて初めて上達するものである」と言わ れました。爾来先生宅から戴いた居合魂(先がコブになった棒、刀の重さにしてある)を毎日寝る前に左手で数十回振って左右の力のバランスをとっています。
先生が日本居合道界に残された御功績は数ある中、特筆されるのは全国居合道優勝大会 の提唱でありましょう。本来居合道は見せるものでなく、人前で抜くことを嫌ったものであるが、居合道の将来を憂いた先生は、一つの振興策として、オリンピックの体操競技の採点方法を取り入れられ、何回か検討の末、現在の旗揚げ方式が採用されたものであります。一長一短はありますが、全国は勿論、地方大会にも採用され、居合人の一つの目標にもなっていることは御承知のとおりで、今日の居合道隆盛の因をなしたと申しても過言で はありません。
次に先生が書き残された書に、「無双直伝英信流天之巻」があります。初心者向けに基本技が細く正確に書き表わされ、同好の士の座右の書として好評を博していますが、そもそもこの書の発刊の趣旨は、幕末から明治、大正、昭和と居合道衰亡の三代にわたり斯 道を支えてこられた、故大江正路先生の頌徳碑の建立の一助にと、先生から版権をいただいて始めたものであります。
大江正路先生の御息女清岡清様(カナダ在住)や、企てを知った同好の士からの援助の 申し入れがあっているが、建立地の確保が困難なため未だに完成をみず亡くなられたこと は、さぞ心残りであったと同時に、不肖の弟子達を草葉の陰からしかっておられることだ ろと樹まれてなりません。暑い夏の日に神社の境内の一隅に静かに眠っているのを見るにつけ、あの日汗してトラックの助手席で 満足そうに窓外を眺めていた師の面影がいつ迄も忘れられません。
先生は、筆まめな方で何時も気付かれたことをメモされていました。書斎に入ると本の表紙いとわず封筒の表にまで落書がありました。その側に、我々同好の士が待ち望んでいた、「地之巻」の原稿が部厚い顔をのぞかせていました。亡くなられる半月程前には、中 版の段取りまで話し合ったのに、先生存命中に果し得なかった中で、一番気にかかってい たものの一つでありましょう。先生の斯道に対する蘊蓄、また英信流の真髄を永く後世に 伝えるまたとない書と思われるので、是非世に出ることを祈っています。 葬儀の席上、亡くなられる数日前に、弟子達に贈った詩が朗吟されました。
告青年諸君 年少制時当錬軀休言忙登有進乎行為慣習息弗休心境至茲将殆途 (ねんしょうときをつくりてまさにくをねるべし、いうことをやめよぼうにしてあにいと まあらんやと、ぎょうじてかんしゅうとなさばやむればこころよからず、しんきょうここ にいたりてまさにみちみちにちかからんとす。)
先生の斯道にかけた情熱が、いかに激しく純粋であったか、現今に珍らしいあの古武士 の風格、我々では到底計り知れない武道の深さを悟り得たものではないでしょうか。
道場から先生の柩が、自宅の書斎に移され、ふと隣の机の上を見ると、下書きででもあ ろうか、原稿用紙の裏に、「抜刀抜刀亦抜刀、抜き抜きて休まず工夫怠らずば道に到るベ し」これが私の信条であると書かれていました。 以上は、先生が急逝された直後「剣道広報」に投稿したものを、再掲させて戴きました。
政岡先生が急逝されてより、早九ヶ月が過ぎました。日過ぐるに従い、師の偉大さが身 にしみる想いが至す今日であります。
先生は、幼少より文武に秀いで、英信流の土佐で、大江正路先生から直伝を授けられ、 以来六十余年斯道の研究に生涯を俸げられた方であります。
これまでに、研究の結果を「無双直伝英信流天之巻」に発表され、その後武道評論に、「英信流居合道」と題して連載しておりましたが、同誌が廃刊となった、め、詰合之位の 稿で中断されておりましたところ、数年前より「地之巻」の発刊を計画され、大剣取まで の奥伝を加筆されて四十七年秋脱稿されておりました。発刊について、直門である北海道 湖刀会、金沢の誠之館及び私達の間で準備を進めていた矢先の突然の御逝去で返す返すも 残念でなりません。
今回、奥様始め北海道中林豊次、金沢松本栄一両先生の御協力により、ここに念願の「地之巻」の刊行を見ますことは、亡き恩師への唯一の銭けであると共に、我々門下生に対する教本であるという意味から、当時のま、の体裁で発行すること、した次第であります。
私達両名未熟ではありますが、先生より伝書を許された者として、この教本に従い、英 信流居合兵法の本能にふれるべく、努力して参る所存ではありますが、大方の御指導をお 願いする次第であります。 なお、今回の発行に当り企画、印刷、諸般について御協力を得ました中林先生始め、湖 刀会員の方々に甚深の敬意を表すると共に、刊行に際して、全日本剣道連盟会長木村篤太 郎先生から序文を賜りましたことを心から厚くお礼を申し上げる次第でございます。
昭和四十九年三月
無双直伝英信流居合兵法 教士七段野田亨 教士七段川田光城
恩師政岡大先生 政岡大先生が京都の武専をご卒業後、石川県立金沢第三中学校にご赴任になったのは大 正十一年四月のことであります。 戦後、昭和二十五年三月に、永年の教職を去り、郷里の高知県小川村にお帰りになり、 悠々自適のご生活を送られておられましたが、村人の要請により村議会議員になられ、議長の要職にあって、戦後の農村の振興に指導的役割を果たされ、昭和30年に議員を辞し、土佐校講師として再び教壇生活に入り、昭和四十二年三月まで十一年にわたって円熟した人格をもって生徒指導にあたられたのであります。
先生のご健在を知った旧県立金沢第三中学校時代の教え子存養会(剣道部OB)の皆さんや私ども門弟が、恩師が金沢に転居されることを熱望したのに応えられて、再度金沢に おいでになったのは昭和四十二年六月のことでありました。
政岡大先生には、石川県剣道連盟が主宰する県立体育館武道場の青少年剣道教室師範と してお迎えするほか、当時私は先生の「ご来沢を機会に、剣道場を建設することを計画し、 昭和四十二年十月に道場も完成「誠之館」と先生に名づけて戴くとともに、同館の師範を お願いして、青少年の剣道に居合道に益々お元気で楽しいお稽古を続けておられたのであ りましたが、昨年七月九日の夕刻、いつものように少年たちのご指導中に突然急逝されたのでおります。
剣の道に一生をかけられ、四十有余年の教職を通じて斯道に捧げられたご功績を残し、金沢を第二の故郷と定められて六年、青少年たちと楽しい稽古を続けてこられた誠二部道 場で、古武士の如き大往生をもって、七十七年の生涯を静かに終られたのであります。
政岡大先生が、我が国剣道界に尽されたご功績は枚挙にいとまがありません。昭和四十 二年の春に再度金沢にご転居なされた先生は、ご高令とも思われないほどご健康で、剣道 に居合道にご活躍され、昭和四十五年には、第一回中部居合道大会を金沢で開催するため ご努力なされ、大会委員長並びに審判長として大会の運営に万善を期せられ、毎年盛会に 開催される基礎をつくられて、居合道伸展に貢献され、昭和四十六年秋には、石川県北国 新聞社のスポーツ功労賞受賞の栄誉を担われたのであります。
政岡大先生は少年時代から居合道修業の道に入られ、特に学生時代から無双直伝英信流 居合術十七代目の大江正路範士のご薫陶を受けられ、土佐英信流居合兵法を生涯のご研究 となされて、昭和三十二年には「無双直伝英信流居合道」天の巻を発刊されて指導普及に 努められ、其の後「武道評論」にも発表されたものを、更にご研究を積み重ねられ「地之 巻」として刊行するため原稿を整備されて脱稿も終り、門下生たちと発刊の準備中にご他 界になったので、さぞ先生もお心残りのことと思います。
この度、野田、川田、中林の門下生と相協力して、恩師政岡大先生の教本として、この3 「地之巻」を出版して後世に伝え、いささかなりとも師のご恩に報ゆることの出来ますこ とを、教え子の一人として喜びとするところであります。 昭和四十九年春金沢市西念町四十一ノ一
石川界劍道連盟常任理事 金汉市劍道連盟理事長 松本栄一 誠之館々長
政岡先生と湖刀会
恩師政岡先生が、北海道剣道連盟の招聘で、本道にお出になったのは、昭和三十九年の 夏でありました。私どもの湖刀会が発足したのは、先生がおいでになった前の年の昭和三 十八年九月に、洞爺湖周辺の居合道同好の志によって結成したばかりでありました。
政岡先生のご来道を機会に、是非無双直伝英信流に入門することをきめ、既に、高知に 行って、政岡先生に直接ご指導を受けてこられた、私の先輩雨夜一勝先生(故人になられ た)のご紹介で、道剣連の講習会終了後、洞爺湖温泉町に先生をお迎えして、初めて先生のご指導を戴いたことが、私ども湖刀会員が、英信流に入門した第一歩であると同時に、 古い歴史と伝統を誇る土佐英信流ともいうべき無双直伝英信流が、政岡先生によって、二 つの海を越えて北海道の一角に、尊い足跡の一歩を踏み出したともいえるのであります。
昭和四十一年八月、政岡先生には、高弟の野田亨先生(現第十九代目)を伴い、再度ご 指導に来られ、湖刀会全員が政岡先生の門人として入門を許され、「無双直伝英信流居合兵 法大江派湖刀会」と会名を改め、隔年に先生のご指導を戴くことになったのであります。
爾来、年々会員数も各地で増加したため、昭和四十二年四月に会則を改め、本部を会長 居住の登別に置き、会員五名以上の地区に支部をおいて、更に会員の増加を計り、昭和四 十三年八月、第三回指導講習会を、登別尚武館で開催を機会に、会員の要望により、湖刀会第一回居合道大会を開く運びとなったのであります。
続いて昭和四十五年夏、昭和四十七年夏と、前後五回に亘って、政岡先生から直接ご指導を賜り、昭和四十七年八月、第五回指導講習会並びに第三回居合道大会には、会員から 希望を快諾されて、治子夫人ご同伴でお出になり、政岡先生門下の湖刀会の発展振りを 先生ご夫妻と共に喜び会う機会を得たのであります。
湖刀会が発足してから十年、現在北海道々南地区である伊達市、登別市、白老町、苫小 牧市、日高静内町、平取町、門別町の三市四町に会支部があり会員数も百名を越える現況 に伸展しつ、あるとき、政岡先生には、昭和四十八年七月九日、金沢市の誠之館道場で、 少年剣士たちをご指導中、道場で急逝されたのであります。
先生は昭和三十二年の春「無双直伝英信流居合道」天の巻を発刊されて、英信流居合に ついての指針を、門下生にお示しになり、更に昭和四十一年には「武道評論」紙上で、英信流居合兵法について、余すところなく先生の蘊蓄をご発表になり、その後のご研究にな ったことと居合兵法の形も併せて「地の巻」の刊行を企画され、既に脱稿も終って出版に かかるやさきにご他界になったことは、寝に残念でなりません。
今度、治子夫人のお許しを得て野田、川田、松本の各門下生と共に、全国各地の門下生 のご協力とご支援とを得て、先生のご遺志を継ぎ、ここに教本「地の巻」を刊行して、先 生のご霊前に手向け、先生のご遺業を後世に伝えることのできますことを心から感謝し磨 じとするところであります。
合掌
なお、この度の刊行に当っては、旧制中学時代の教え子であります興和印刷株式会社中 表取締役社長田中佐一郎氏のご厚意により、印刷用資材の高騰の折にもかかわらず、多大のご協力を戴きましたことを心から感謝の意を表する次第であります。
中林豊次
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