ばら花譜・二口善雄画 ティランジア・世界で最も珍しい着生植物等植物の本・図鑑お譲りいただきました。ありがとうございました。ティランジアは英語表記の洋書になります。
バラの花、それは一般的には欧州の花であり,また外来文化のシンボルのように思われている。現在、これを描くにはどんな風に描けばよいか、はなはだ心配でもあった。
以前から自分なりにバラを描いてはいたが,この「ばら花譜」の仕事を始めたのは,1973年の秋であった。 まず,日本の各地にある原種を描くことになり、当時編集担当であった広瀬嘉信氏は材料集めに東奔西走 れた。原種には分布が限られているものも多く,高い山にしかないものもあって,材料探しは思ったより難かしいことであった。タカネイバラは志賀高原で描いたのがうまくいかず,箱根を越えて富士山へでかけたのは,ちょうどアジサイの盛りの頃の雨模様の日であった。五合目付近につくと,大荒れで、下から吹き上がる雨風は冷たい。この時は結局何も描けずに敗退した。次の時は快晴であって,五合目に着いたのは朝 の九時頃であるのに,もう駐車場は車でいっぱい,人出もたくさんで,富士銀座通りの観があった。この日 はちょうど山開きの日だったのだ。めざすタカネイバラは道路の傍らのガラガラした砂の斜面に咲いていた。はなはだ足場の悪い所で,なんとか体のバランスをとりつつ辛うじてデッサンを仕上げると、目の下に は雲海が広がり,改めてここは高い所だと思った。
ミヤコイバラとヤブイバラのためには,初山泰一先生に同行していただいて,奈良から吉野山,さらに高 野山へと巡った。高野山の裏山でヤブイバラを採取し,急ぎ旅宿へ戻り写生した。途中のホタルブクロの群 落が印象的であった。カラフトイバラの取材では浅間山麓の六里が原へ,オオタカネイバラでは志賀高原へ と出向いたが,いずれも開花の時期をはずすと、翌年までお預けになる危険があり,タイミングが大切なことが身にしみた。
栽培のバラのうち、今では細々と残っているにすぎない古い品種も印象的なものであった。明治の頃にか 日本へ導入された古典的なバラは,現代の品種とはまた違った品位と風格のあるものである。一般には入手 困難の由であるが,幸い鈴木省三先生の長年の蒐集のおかげで思ってもみなかったほどの点数を写生するこ とができた。だが,これらはやがては絶えてしまうのであろうか。
一方,現代の園芸品種はもっぱら八千代市の京成バラ園芸と,谷津遊園のものを描かせてもらった。これ が何シーズンか続いて,しだいに予定の数を埋めていくことができた。例年5月15日頃が最盛期で,いろい ろな品種の花が一時に咲きそろうが,描くほうはとても追いつかない。たくさん届けていただくが,とりか かれないうちにくずれていく花を見るのは,何とももどかしい思いであった。
バラに本格的に取り組むことになって、はや10年の月日がたってしまった。今これが世に出ることになり、やっとほっとした思いである。花を前にしてこれを写生する喜びは何ものにも換えがたいことであるが, どれだけその面影を表せたであろうか。
この仕事を企画された鈴木省三先生,平凡社の佐藤仁氏,宮沢恵子氏,ご協力をいただいた谷津遊園の斉 藤民哉氏,京成バラ園芸の平林浩氏,矢口信好氏、また取材でお世話いただいた山梨県忍野の冨樫誠氏,小 石川植物園の山崎敬氏,愛知県新城市の鳥居喜一氏,名古屋の井波一雄氏,山口県下松市の真崎博氏,志賀 高原の春原弘氏,東京都千代田区の大熊喜英氏,千葉県松戸市の森康司氏に心よりお礼を申し上げる。 この企画の初めに尽力され,道半ばで急逝された広瀬嘉信氏のご冥福をお祈りする次第である。
1983年 3月 二口善雄
目次
第1部 日本に野生する種類
第2部 原種、原種交雑種およびオールド・ローズ
第3部 モダン・ローズ
バラの花,それは一般的には欧州の花であり,また外来文化のシンボルのように思われている。現在,こ れを描くにはどんな風に描けばよいか、はなはだ心配でもあった。
以前から自分なりにバラを描いてはいたが,この「ばら花譜」の仕事を始めたのは,1973年の秋であった。 まず,日本の各地にある原種を描くことになり,当時編集担当であった広瀬嘉信氏は材料集めに東奔西走さ れた。原種には分布が限られているものも多く,高い山にしかないものもあって、材料探しは思ったよりむ ずかしいことであった。タカネイバラは志賀高原で描いたのがうまくいかず,箱根を越えて富士山へでかけ たのは,ちょうどアジサイの盛りの頃の雨模様の日であった。五合目付近につくと,大荒れで、下から吹き上がる雨風は冷たい。
この時は結局何も描けずに敗退した。次の時は快晴であって,五合目に着いたのは朝 の九時頃であるのに,もう駐車場は車でいっぱい,人出もたくさんで、富士銀座通りの観があった。この日 はちょうど山開きの日だったのだ。めざすタカネイバラは道路の傍らのガラガラした砂の斜面に咲いてい た。はなはだ足場の悪い所で,なんとか体のバランスをとりつつ辛うじてデッサンを仕上げると、目の下に は雲海が広がり,改めてここは高い所だと思った。
ミヤコイバラとヤブイバラのためには,初山泰一先生に同行していただいて、奈良から吉野山,さらに高 野山へと巡った。高野山の裏山でヤブイバラを採取し,急ぎ旅宿へ戻り写生した。途中のホタルブクロの群 落が印象的であった。カラフトイバラの取材では浅間山麓の六里市原へ,オオタカネイバラでは志賀高原へ と出向いたが,いずれも開花の時期をはずすと、翌年までお預けになる危険があり、タイミングが大切なこ とが身にしみた。
栽培のバラのうち、今では細々と残っているにすぎない古い品種も印象的なものであった。明治の頃にか 日本へ導入された古典的なバラは,現代の品種とはまた違った品位と風格のあるものである。一般には入手 困難の由であるが、幸い鈴木省三先生の長年の蒐集のおかげで思ってもみなかったほどの点数を写生するこ とができた。だが,これらはやがては絶えてしまうのであろうか。
一方,現代の園芸品種はもっぱら八千代市の京成バラ園芸と,谷津遊園のものを描かせてもらった。これ が何シーズンか続いて,しだいに予定の数を埋めていくことができた。例年5月15日頃が最盛期で,いろい ろな品種の花が一時に咲きそろうが,描くほうはとても追いつかない。たくさん届けていただくが, とりか かれないうちにくずれていく花を見るのは、何とももどかしい思いであった。
バラに本格的に取り組むことになって、はや10年の月日がたってしまった。今これが世に出ることにな り、やっとほっとした思いである。花を前にしてこれを写生する喜びは何ものにも換えがたいことであるが, どれだけその面影を表せたであろうか。