沖縄古武道・ヌンチャク・釵(サイ)糸洲流・坂上隆祥等空手・唐手の本・柔術書買取事例
この本は八光流の護身術の本になりますが、護身術というよりも柔術として有名な流派になります。実は当社の近くに本部道場があり、夜遅くまで稽古みなさん稽古に励んでおられます。
人命に危害を加えらるる如き場合、最後の手段として活用出來、しかる傷害を与えないのである。それは最近流行する競技、闘法の如き暴行に流用出來るたぐいとは、その精神を自のずから異にするものである。
勿論、専門としての内容ではないが、同時に単なる一流一派の型にこだわる如き形骸でもなく、男女老若をとわず、力と修熟を要せずして、我がいのちを護る本能をその儘秘訣とし、体系付けた処に本伝の真価があるのである。從つてこれを常識として、心身に備え得た暁は恒に泰然自若、毅然として事に臨むことが、出来ることを信じて疑わない。
殊にデモクラシーの新時代に於ては、雄辯の威力に俟っ之と少しとしないが、併し雄弁 に限らず学術、事業、政治、生活行動の一切の根底に膽、斗の如き肚が出来ていなければ ならないのである。即ち裏付のある信念、肚を養成する近道、その秘法こそ、実は我が八 光流武芸の独壇上なのである。
有縁の士は改めて入門、順を遂って師範にまで進まるるよう希望して止まぬ。
自他ともに人権を重んじ一 不慮の暴力行為に備えて、防犯と護身の常識を知っておくことは、文化人たる教養の一つ だと信じている。
明るい町、住みよい道義日本を建設せんがために、防犯護身の秘訣、市民大講習会を、全国有縁の地において開催しているので、その教本として本伝を公にした次第である。もとより、内容頗る簡潔ではあるが、十八か条の真価に至つては、何人と雖も、一読直ちに 活用自在という、まさに秘伝の名にそむかない誇りを有っている。
本伝以外の、八光流の各技は講習会のステージに於て解説、実演公開をなし、これを補足したいと考えている。
(昭和二四年六月二八日)
これは八光流護身体操の点描であります。武道に似て而かも柔道にあらず、から手にあらず。とはいえ不慮の暴行に備えて敢然身を護り得る秘閃あり。古えより聖人君子のゲームと讃えられし。又故なきにあらず、その姿態は美化され、弱体は補強される。新しき日本人の心と人格、そうだ共に該博なる雅量と肌が養はれるのであります。
その力を否、戦うための一切を棄てよ、八光流こそ時にダンスの如く、又舞踊の如し。まさに世界平和に貢献せんとする、身心錬成の新しき要道であります。
心技一体の芸術的な体育の粋、幽玄なる護身の秘技、悟らんとして、はるけさ道を求めつつ、真摯に祖国を憶う新人よ。参入して修めよ、わが八光流。
物質文明が豊かになり精神の空洞化が叫ばれ、道徳が低下している昨今である が、古武道に対する再評価が、幸いにも武道を通じて知徳の向上に一翼をなして いることは誠に喜ばしいことである。 この十数年間、空手愛好者は世界的に伸び、また多数の書籍も出版されている。 その反面、表裏関係にある沖縄古武道は、適切な指導者の不足が原因して衰退の 傾向を見せている。実際に或る種の古武道はほとんど忘れ去られそうになってい るのが実情である。
本書は1974年に海外向けに出版した英文書を日本版にしたものであるが、これ を機に再度、空手と古武道の関係を見つめてほしいと思う。
元来、空手と古武道は、車の両輪をなすもので、いずれが欠けても完全な発展 は望めない。しかし残念なことに、このことは看過されがちであるが、これは沖 縄武道の内地移入時の変則的状態による影響が大きく尾を引いているからと思わ れる。
ここ数年、種々の武道の長所が再認識されはじめている様子がうかがえるが、 特に空手修業者の中に古武道の真の価値を理解しようとする人が増えている。真 剣に古武道の研究に励むなら、必ず武道全体に渡る理解を深めることになり、修 業に益をもたらす。さらに武道の精神教育は、古武道をもって行なうのが最も合 理的であり、かつ効果があり、真の意味で武道の普及につながる。
沖縄古武道を研究する者にとって、平信賢師を忘れることはできない。現在の 研究の基礎は、師によって拓かれたものである。本書は師の遺芳のごく一部を紹 介するものであるが、完成度という観点からは、非常にすぐれた研究書であり技 法書であると自負している。
本書の発刊に際し、多くの人々の貴重な時間とご厚意と協力を頂戴した。モデ ルを務めてくれた長男の節明、山田繁雄、柳沢公子の諸氏、撮影に細かい神経を 傾注されたカメラマンの松永秀夫氏、出版の労をとられた日貿出版社社長、吉崎 巌氏に衷心より感謝の意を表わしたい。
1983年5月 坂上隆祥